エロゲー 夏ノ雨 理香子ss『例の日』

夏ノ雨 理香子ss『例の日』
説明:今年の夏は何も起こりませんでしたエンド。の後。
3月14日。ホワイトデー



○桜井家・宗介の部屋


寝返り。
窓。緑色の遮光カーテン。隙間から漏れる春の陽光。郵便バイクのアイドリング音。
ベッドの上、寝返り。
黒髪がほつれ枕にひろがる。
ギーヨ、とヒヨドリの鳴き声。廃品回収車のテープ放送。陽気なメロディ。
『こちらは、廃品回収車です。ご不要になりました、テレビ、パソコン、自転車、CDラジカセ、』
ベッドの上、寝返り。
壁との距離、およそ3センチ。まるめたタオルケットを抱きしめる。ひくひく小鼻が動く。
『無料にて、回収いたします』
ごすん、と音。
壁、殴られる。
『壊れていても、かまいません。お気軽にご相談ください。こちらは、廃品回収車です。ご不要に』
理香子、ぐりぐりと額を枕にこすりつける。うめき声。
「うう――――!」


○桜井家・キッチン


壁。木枠の掛け時計。短針が小さく音をたてる。次いで、明るいオルゴール調の響き。
宗介、手を止め時計の方に目をやる。午前10時00分。
何かを思い出そうとする風の宗介。首をかしげる。手元。ゴムべらがぐるぐる動きだす。
足音。
近づいてくる。
ぺたぺた、ずるずる、ごつん。素足、ひきずるタオルケット、額とドア。
理香子、さかんに口から息を吐きつつ現れる。目が開いていない。鼻であたりを嗅ぎまわる。パンダの赤ちゃんに似ている。
宗介、振り返る。
「理香子?おはよう」
「うう――――!」
「おはよう」
宗介、ゴムべらでボウルの中身をすくう。
黒いチョコレートが垂れていく。もう一度すくう。とろりと垂れていく。
布巾でボウルの縁を挟み持ちあげる。湯から外しシンクへ。一瞬遅れて鍋から白い蒸気が上がる。
ボウルの底を水につけゆっくりチョコレートをかき混ぜる。目を閉じ鼻で息を吸いこむ。ずこずことへらを弛ませる。
リビングからテレビの起動音。ソファの沈む音。新聞を広げる音。
宗介、神妙な顔。やや身を乗り出しミルクチョコの粘度を確かめる。ボウルの中身を静かに混ぜる。
ゴムべらを置く。
再び鍋の湯にボウルをひたす。素早い動きで底を返すようにかき混ぜる。かき混ぜる。
「ねえ宗介……?」
かき混ぜる。鍋から外す。
シンクで水を切り、ボウルを布巾の上に置く。
「どうした?」
「昨日のバイトなんだけど……」
包丁の先をボウルの中身にひたす。チョコレート、つやつや光る。宙に振っているとすぐに乾きぱきんと固まる。宗介、包丁を舐め、にやり。
「昨日のバイトが?」
「なんでもない」
宗介、冷蔵庫からガナッシュを取り出す。ひとつずつ小さく丸めてラップに包んである。
ダイニングテーブルの上、アルミカップが並んでいる。そこに一個ずつ落としていく。
「それ、私のエプロンよね」
「借りてる」
「そう」
理香子、テーブルに寄ってくる。
宗介、コーンフレークを棚から出す。ガナッシュのないアルミカップに少量ずつ入れていく。
理香子、正面の席に座る。頬杖をつきアルミカップを眺める。抱きしめたタオルケットの匂いをかぐ。コーンフレークをつまむ。
「ねむい……」
「寝てりゃいいじゃん。休みだし」
「心は眠いのよ。でも体は眠くないの」
「つまり、横になってテレビ見てりゃいい」
「それよ」
理香子、立ち上がる。
宗介、レードルでチョコレートを計りカップに注いでいく。後ろからヴーン、とポットの駆動音。
理香子、コーヒーカップに口を付けながらテーブルに戻ってくる。椅子に座る。カップを差し出す。
「ちょっと垂らして」
「いいけど」
「ちょっとよ?ちょっとでいいから。ストップ。もうストップ」
「コーヒーだよな。冷蔵庫に生クリーム余ってる」
「どれくらい?」
「結構」
「いらない」
「ほら、スプーン」
理香子、コーヒーカップを覗き込みぐるぐるかき混ぜる。唇がアヒルっぽく突き出る。
宗介、へらでボウルに残るチョコレートをまとめてはアルミカップに注いでいく。綺麗になったボウルをカンカン、と叩く。へらについたチョコを指で取って舐める。理香子と目が合う。
ゴムべらを差し出す。
理香子、拒否。
「それ甘いやつでしょ」
「おう」
「知ってる?猫ってね、チョコレート食べるとおえってなるのよ。猫舌の判断するところによると苦いらしいの。身体が受け付けないのね。カカオが神経によくないらしくて。子猫とか小型種だと60グラム、板チョコ一枚で致死量に相当するから食べさせてはいけないの。絶対に」
「知ってる」
宗介、ボウルとへらをシンクに片付ける。
「昨日テレビでやってた」
「……知ってるわよ」
宗介、カラースプレー、ジュエリーシュガーを持って帰ってくる。
アルミカップに上からぱらぱらと振りかける。
「なにそれ。生意気」
「うるせえな」
「なにそのファンシー感。似合ってないわよ。あとなんか雑」
「理香子の理とか描いてやろうか」
「ばーか」
「んなこと言ってるとコレやらないからな」
「別に」
理香子、大きくあくびする。
悩ましげな声。手の甲で目をごしごしやる。
宙を彷徨っていた視線がひとところに止まる。おもむろにジュエリーシュガーをつまもうとして指がチョコにめり込む。びくってなる。
「……なに。なに見てるの」
「さあ」
「それ、カラフルな方少しちょうだい」
「もう使わないし全部食っちまってくれ」
「そんなにはいらない。ちょっとで、なによこれ。甘いじゃない」
「砂糖だし」
「うわこれ、甘い」
「フツー、甘いってもっと嬉しそうに言う台詞じゃないか?」
「甘いのそんな好きじゃないし」
「チョコは?」
「そんな好きじゃない」
「白チョコは?冷蔵庫に冷えてるけど」
「あんまり」
宗介、眉間に皺寄せ記憶をたどっている。
コーヒーをすする理香子。
「バレンタインの日」
「おう?」
「私、宗介にチョコあげたっけ」
「もらった」
「そうだった?」
「ほら。オールドファッションに黒チョコかけたやつ。バイト先で余った〜、とか言って」
「オールドファッションって、ドーナツ?持って帰ったっけ。持って帰ったかも。ああ。でもあれ、ホントの余り物よ」
「……は?」
「バレンタインで売れるかなと思って店長が作りすぎたのよ」
「マジで……」
「ちょうどいいじゃない。私甘いの苦手だし」
理香子、コーヒーをすする。


○桜井家・ダイニング


ラッピング材をひろげる宗介。ビニルには七色のプリント。『This is a small token of my gratitude!』邪魔をする理香子。
足音。
スリッパを鳴らし歩いてくる朋実。フリルブラウスにロングスカートとよそゆきの格好。その上にどてらを着込んでいる。おさげが無いとミニ理香子と言った風情。口に漬物を咥えている。
「ほにいちゃん、もはよう……」
「もはよう」
「りかこももはよう……」
「もはよう」
朋実、奈良漬の壷を抱いている。右手を中に差し込んでは漬物をぽりぽりやる。
テーブルの前で立ち止まり、
「わ。もにいちゃん、できたの?」
「できたぞ」
「食べていい?」
「おう。まだ固まってないけど」
「できてないじゃん……」
「冷蔵庫にホワイトチョコ入ってる。そっちはもう固まってるだろ」
「たべる、たべる。サクサクのやつがいい」
「今年は違うのも作ってみた。トリュフ的な。丸くねーけど」
「……なんか生意気」
理香子、口を挟む。
朋実、冷蔵庫の中を背伸びして覗き込む。
「右のほうな。コーンフレーク入ってんのは多分下の段」
「下の段……」
扉は開けたまま、銀紙を剥がしひとつ口に入れる朋実。咀嚼。咀嚼しながらごぞごぞ、と数個まとめて掴み取る。
朋実、リビングのソファに落ち着く。右手に奈良漬、左手にチョコレート。
宗介、リボンを切っている。
理香子、広げた新聞をばさばさやる。
「はれ」
「どうした?」
「おにいちゃん、わたしのつけもの」
朋実、立ち上がる。
「わたしのつけものなくなりそう」
「食べるとそうなる」
「おなか減った」
「そういやもう昼か」
宗介、手を止め理香子を見る。理香子、大きく伸びをし脚を組む。
「米は昨日のが残ってる。あとはパンかラーメン」
「つけものがいい」
「お前が持ってる」
「ピラフないの?」
「あるぞ。作っといてやるから歯磨いてこい」
「うん」
朋実、奈良漬の壷を小脇に抱え洗面所へ駆けていく。
「私も少しお腹減ってきた」
「俺も。そういや……」
宗介、理香子の方を見る。新聞で顔が隠れている。
「生クリームが結構余ってんだよ」
「そう」
「ベーコンある。卵もある。パスタとチーズとバジルもある。お湯も沸いてる」
「ふうん」
「そして今、モーレツにイタリア的なものが食べたい。カルボなんたら的なものが」
「今日は宗介が料理する日じゃないの?」
「俺がやるとなんか固まっちまうんだよな、アレ」
「じゃあピラフね。三人前」
「もうとっくに飽きてんだよ……」
宗介、棚を漁る。
ホットケーキミックス期限切れそう」
「だから甘いの嫌だって言ってるでしょう」
ホットケーキあるの!と、遠くから、朋実。
「理香子はピラフ食えばいいだろ。作ってやるから。たのむよ、カルボナーラ
「めんどくさいわね……」
理香子、やれやれ、と立ち上がる。同時に新聞を畳もうとするが折り目が合わない。苦戦する。
「……なに、なに見てるの」
「さあ」
「お兄ちゃんわたしホットケーキ」
「好きなだけやってくれ、粉かなりあるし。丁度いいな。チョコと生クリームとあとトッピングも余ってる」
「ホント?えへ、わたしあれしたい。バター塗って、生クリーム載せて、チョコ溶かして上からとろってしたい」
「いいんじゃねーの」
宗介、言いさし、顔をしかめる。
「でもアレじゃないか。甘いもの食っちまっていいのか」
「なんで?」
「朋実、この後出かけるんだろ?お返しもらいに」
「もっ、もらわない!」


○空・青空・南中する太陽


翠の声。
「きたよー……?」


○桜井家・ダイニング


テーブルの上、空いた大皿が二枚並んでいる。
食パンをちぎり、皿に残るカルボナーラのスープを吸わせている宗介。向かいで玉ねぎスープを吹いて冷ます理香子。二人とも同じ方向をむいている。
「来るの早えよ」
「なんで来るのよ」
翠、テーブルの前に仁王立ち。
「それはね……」
おもむろにスプリングコートを脱ぎだす翠。
シンプルなチェックシャツと薄手のセーター。下はローライズデニム。ソファへ勢いよくコートを投げ捨てる。
「お腹が減っているからだよ!これはっ、なに、待て?見せしめ?神々のいたずら?」
テーブルにどん!と両手を突く翠。そのまま崩れ落ちる。
「なにこの、ごちそうさまの空気……」
「なにと言われても」
「微妙な時間に来るから」
「ぴったりお昼前だよっ。でしょ!」
「昼前ってブランチ後なんだよな」
「微妙な時間に来るから」
「店員様っ。あたしにもカルボ一丁っ……」


○桜井家・ダイニング


湯気を放つカルボナーラ。フォークでずるずるやる翠。白身だけの目玉無し焼きもずるずるやる翠。
翠、目を細めフォークを天井に向けびしっと立てる。ポセイドン的なポーズ。
「うまい!」
理香子、宗介、見ていない。


○桜井家・リビング


ソファに腰掛ける翠、理香子。
宗介、奥のテーブルでチョコレートをラッピングしている。
翠、ぱたぱたさせていた脚を止め、
「できたかね」
「もうちょい」
「いそぎたまえ」
立ち上がる翠。テーブルの方へ歩いていく。チョコレートを一つつまみ口に放り込む。目を閉じる。うんうんと頷いている。
「ていうかラッピングしなくてよくない?」
翠、もうひとつチョコレートをつまむ。
「ここで食べちゃうし。あ、なるほど。おみやげ用か」
「まあ、そういうこと」
「やだ。なんかやらしい。あれでしょ。家に持って帰って、俺の顔思い出しながら俺の作ったチョコを食え、みたいな」
「お前一個たりとも持って帰るなよ」
「ええ――――」
「つーか普通、ホワイトデーはお返し渡されるのを待つ日であって、できあがりを待ち構えてるのはおかしい」
「そうかな」
「おかしい。家まで来んなよ」
「え、でもだよ。今日来なかったらいつ渡すの。あたしに」
「月曜」
「明日日曜日でしょ?月曜日なんて16日だよ。3月16日。時期遅れ感は否めないよ。そういうのはちゃんと守っていかないと」
「はあ」
「ホワイトデーに返さなかったらそれはただのおやつだよ」
「別に年中おやつだけど」
「それに桜井のためでもあるんだよ?クラスで渡さなくていーんだから。去年くれるときすごい恥ずかしそうにしてたでしょ。『おい翠、ちょっとこっち来い。にやにやするな。ちょっとこっち来い』とか言って」
「言ってない」
「その話詳しく聞かせてくれる?」
音もなく側に来ている理香子。椅子を引き、腰掛ける。
「リカちん聞いてよ。それがねぇ」
「おい」
「はくらいはだまってなさい」
翠、左手と右手のチョコを見比べ、同時に頬ばる。
「去年のホワイトデーは平日でしょ。普通に授業があったのね。それで朝、なにやら桜井が手提げ的なものをぶらさげて教室に入って来たわけ。手提げ的なものを。3月14日に」
「悪いかよ。悪いのかよ」
「ふうん」
「それでね。あたしは思いました。これはアレだ。Forあたしだと。ちょっと身構えて想定問答集を考えたりもしました。『翠、これ』『これってなあに?あたしわかんなぁ〜い』みたいな」
「去年も翠あげてたんだ」
「そうそう。でね。こっちも不意をつかれるわけにはいかないじゃん。来るか、いま来るかと思って待ってたんだけど桜井全然席立たないんだよ。朝のホームルーム始まっちゃうでしょ。一時間目も始まっちゃうでしょ。二時間目三時間目気づけばお昼休みになってて、それでもやっぱり音沙汰無しなの。フツーに友達と話してるし。あたし授業の合間なんかトイレいかないであげてたんだよ?長いこと教科書片付けてるふりしてみたり、移動教室のときも最後まで残ってみたりして。でも全然桜井近づいてこないんだよ。たまに目が合ってもなに?いや別に?って感じなの。あたしは思いました。もしかしてキミは今日が何の日かお忘れになってはいないでしょうかね。男性としてのマナーがなってないわけ。え、まさかあの手提げはお弁当?みたいな若干の不安も浮かんでしまうわけ」
「そういうの忘れてそうよね、宗介って」
「それでお昼休みの終わりにだよ。とうとう桜井が近づいてきて、これか!と思ったら五時間目の小テストがなんたらって話でしょ。普段小テストなんて気にしてますかって思うでしょ。そろそろあたしのがまん袋の緒も切れるでしょ?」
「きかれても困るけど」
「そこでね。たまたまあたしの席の近くでお返しの応酬が始まって」
「それは結局返してるの?返してないの?」
「そしたらだよ。さっきまで試験範囲がうんたら〜みたいなこと言ってた桜井がぴくっ、てしたわけ。急に目合わせなくなるわけ。翠サンキューみたいなこと言って席に帰っていくわけ。あたしは思いました。ははあんと」
「ははあんと」
「桜井の考えることなんてたかが知れてるわけ。井戸のなまずなわけ。これは放課後に逃してしまっては勿体ない!この衆人環視の昼休みを逃すわけにはいかない!あたしは一計を講じました」
「かわずだから」
「お前わざとやってたのかよ……」
「桜井が悪いんだよ?放課後にしれっと渡そうなんて考えるから。桜井の席に近づいてって、クラスのみんなに聞こえるようにこう言ったの。『あれー!桜井この手提げかわいいねどこで買ったのー!』」
「それ一計って言うんだ」
「タチ悪いよな」
「みんながみんな気にしてるんだし、クラスがそういう雰囲気になってね。計画どおり!それで、そう、確か音楽準備室の前まで引っ張っていかれたんだよ。『これ、ほら、翠これやる』とか言っちゃって。あの時の桜井の顔がね、もうね。写真にとっておかなかったのが悔やまれるね」
「覚えてない。全然記憶に無い」
「またまたぁ」
翠、アルミカップを指でいじる。
「そういう意味では感謝すべきじゃない?今年は恥ずかしい思いしなくて済んだわけだし」
「去年もしたくなかったっての」
「あたしもちょっと恥ずかしかったんだよ?教室戻るとき」
「知るか」
「ね、ね、今年はリカちんがしようよ?教室で、公開ホワイトデー」
「いやよ」
「いやだ」
「えー、もったいないじゃん。桜井に恥かかせるチャンスだよ?」
「言われてみればそうよね」
「決めた。来年から翠のチョコ絶っ対受け取らないからな」
「いいけど郵送するよ?」
「郵送するなよ」
「でもあげないとお返しもらえないし」
翠、理香子の前へずずっとチョコを押す。理香子、押し返す。
「桜井だってチョコ作れなくなったら困るでしょ?相手がいてはじめてお返し作れるわけだから。あたしにありがとうすべきだよ、あれ。なにその顔。お前にもらわなくても当てくらいあるっつーの顔」
「そんな顔はない」
「あるよ」
「翠。この話題はやめにしよう」
「なんで。ホワイトデーにホワイトデーの話しなくていつするの?」
「削りあうのはやめよう。もっとこう、誰も傷つかない感じの話をしよう」
翠、ティッシュで口元を拭いている。しぶしぶ宗介と目を合わせる。
「えー。じゃあねえ……」
「宗介にも意外な特技あるわよね」
理香子、マグカップを置く。チョコレートを一つ摘み上げる。うさんくさげな眼差し。
「こんなもの作れるんだ」
「そうなんだよ。しかも結構おいしいんだよ?去年まさかの手作りだったからあたしびっくりしちゃって」
「話変わってねーじゃん」
「褒めてる、褒めてる」
「そうよ褒めてる」
理香子、冷たい目。
「意外な一面」
「意外な一面って大事だよ?あたしもほんのちょっとだけ、どきってしたし」
「なんか納得いかないのよね……」
理香子、下唇をいじる。
「ちなみに宗介って今年チョコ何個もらったわけ?」
「あ、それ聞きたい聞きたい!そーいえば聞いてなかったよ?実はこっそりもらってたりするの?」
「するわけ?」
「待って待って。とりあえずあたしとリカちんとで二個でしょ?それから……」
「理香子からもらってない」
「へ?誰から?」
「だから理香子からはもらってない」
「あげてたじゃない」
「もらってない」
「あげたわよ」
「いいや」
宗介、理香子、そっぽを向く。
「…………??」
翠、左右の顔を見比べる。
「……ちょっと、リカちん。桜井へこんでるよ?」
「へこんではねえよ」
「リカちん渡してないの?」
「あげた。あげました。さっき確認した」
「ドーナツだろ。バイト先で余った」
「おいしいじゃないドーナツ。なに、宗介ってドーナツを下に見てるわけ。ドーナツに喧嘩売ってるわけ」
「そういうわけじゃないけど」
宗介、頬を舌で突付く。
「……どうせ、例の照れ隠しだろうと思ってたんだよ。余り物にみせかけた感じの」
「照れ隠しであってるよ?あの日リカちんがねえ、今更チョコ渡すのもあれだしドーナツでいいよね?いいわよね?って何度も」
「ちょっ!!」
理香子、固いものを投げつける。
翠、かわす。


○道路・伸びる影


○空・夕焼け


ひなこの声。
「おじゃましまー……?」


○桜井家・キッチン


エプロン姿のひなこと理香子、並んでサニーレタスをちぎっている。
真っ白いサラダボウルは既に半分ほど埋まっている。シンクの上にアルミ製の桶。薄くスライスされた紫たまねぎが水にさらしてある。
コンロ、味噌汁の鍋がことこと蓋を浮かせはじめる。ひなこ、急いで手を拭く。
「だからね、それは少し残しておいて、それから」
「でもかたやきそば会社はプロなのよ。日本全国北は稚内から本場長崎まで何百、何千食っていうかたやきそばを試食し賞味し尽したうえでの答えなのよ。あの粉末スープは。量だってあれでちょうどになるよう計算されてるの」
理香子、レタスをちぎる。水滴を飛ばす。ボウルに盛る。
「おそらくよ。おそらく、『水250mlを火にかけ……』のクダリが諸悪の根源なのよ。蓋はするの?放っておいていいの?強火で?中火で?都市ガスと業務用コンロの火力の違いは加味してあるの?IHヒーター使ってもいいの?そもそも使う鍋の深さは?絵的にはフライパンだけどパッケージの制作会社とかたやきそば開発部で連携がとれてないのかもしれない。もしかしたら本当はお鍋で沸かしてほしいのかもしれない。どれ一つとったってお湯の量は違ってきちゃうじゃない。企業努力に欠けてるわよ。沸いた時点での量を書いといてくれないと駄目に決まってる」
「そういう時はお水を少しね、足してみたらどうかな」
「違うのよ。それだと論点がずれるの」
「粉末スープをちょっと残すのは?」
「だから粉末スープはあの量がベストだってプロが言ってるのよ。なに。あなたはかたやきそば開発部で日々汗を流しているかたやきそばのプロたちよりもかたやきそばについて知っているというの?」
「そうは言わないけど……」
「大体スープは塩気だけで出来ているわけじゃないでしょう。水250mlに対して粉末スープ一袋つまり四袋毎リットルのスープ濃度がとろみ、うまみ、香味、麺との兼ね合い、あらゆる面でベストの状態に調整されているのよ。軽い気持ちで手を出してみなさい。調和を崩してはいけないの。業績が少し上向いたからって株に手を出すような社長は経営者失格なの」
「でも味は濃かったんだよね?」
「そうよ」
理香子、レタスをちぎる。
「悪いの」
「じゃあ。一度思い切って、おいしく作るのあきらめてみるのはどうかな。化学の実験みたいなものだと思って、あれこれ手を加えてみるの。何を足してどう変わるのかってイメージがしやすくなると思うよ。どれくらい片栗粉を入れるととろみがついて、うまみが足りないならオイスターソースこれくらいで、って」
「それで実際、おいしくないのが出来たらどうするのよ」
「とりあえず……食べる?」
「おいしくないじゃない」
「おいしくないよねぇ……」


○桜井家・リビング


ソファで漫画を読む宗介。
向かい合うように翠、床に腰をつけ、ソファに上半身をあずけ雑誌を読んでいる。一見してだれている。
「さくらい、桜井」
翠、宗介のジーンズを引っ張る。
「ね、ね!」
「うん?」
「待って……桜井このズボン、ちょっと臭わない?」
漫画本を閉じる宗介。翠、太もものあたりに鼻をつけふんふん嗅いでいる。一度深く吸う。
「う”っ」
「そういやしばらく洗ってないかも」
「ちょっとぉ!」
ズボン、ばしばし叩かれる。
「鼻つけちゃったじゃん。ていうかさっき枕にしちゃったじゃん!」
ズボン、グーで叩かれる
「せんたく!」
宗介、姿勢を変える。ソファに寝そべる。
「ありえない。ありえないよ桜井……」
「今日はたまたま、ほら、ひな姉しばらくおばさんとこ帰ってたから」
「洗濯のひとつも自分でしないわけ。ありえない。ありえないよさくらい」
「やってるっての。ジャージとか下着とか。これはあれだ、特別っつーかジーンズってこうなんとなく、洗っちゃいけない感があるだろ」
「ないから」
「洗うよ。今日洗う」
「ひな先輩が?この汚物を?」
「自分で洗う」
「絶対だよ?それはそれとして」
「汚物ってなんだよ」
「それとして。あの二人って、どんなこと話すのかな?」
指差す先にはキッチン、理香子とひなこが夕食の準備をしている。なにやら活発な意見交換がすすんでいる。理香子は白熱し、ひなこは考えるような仕草。
二人で鍋を覗き込んでいたかと思うと今度は後ろを向き、戸棚からあれこれ取り出しては見比べている。
宗介、漫画本を開く。
「さあ」
「なんかさ」
翠、懐よりチョコレートの包みをとりだす。アルミカップを持ちはぐっ、と喰らう。
「太るぞ」
「太りません」
「太るだろ」
「太ったら訴えるから」
「やめてくれ」
「なんかさぁー」
翠、雑誌の頁をめくる。
「あのふたりってエッチっぽいよね」
「はあー……」
「やっぱそうだよね」
「はあー……?」
「あれ、違った?なんかね、ふたりがキッチンで料理してるとお尻がね、ぷりぷりしててね、なんかエッチっぽいんだよね」
「それはスカートがひらひらしてるとかいう?」
「うわ。今日ここのスカート人口ゼロだから」
「そうだっけか。でなに、尻がなんだって……」
「あ、興味ない風をよそおってる」
「料理してるの見て感想がそれじゃなぁ。正気を疑うよな」
「そんなこと言うのはちゃんと見てからにしてよ」
「見づらいんだよお前のせいで」
「それはそっか」
「あれだろいつもの。理香子がエプロンつけてるとギャップがなんたら〜って」
「違うんだよわかってないなあ」
翠、ごらんなさい!とキッチンを指差す。理香子がピーマンを裸にし、ひなこが一口大に切っている。
「つまりね。ふたりがああして、誰のためにご飯を作っているかというと桜井のためなわけだよ」
「自分のためじゃねえの」
「話の腰を折らないでくれる」
「それは申し訳ない」
「一口にエッチっぽいと言っても下垂体にがつんと直接くるような感じじゃなくて、肺から上がってくるような、文脈を含めてみた時にだよ、こう精神的な……」
キッチンから声。
理香子、ねえ、とリビングに向け、
「かた焼きそばと回鍋肉どっちがいい?」
ホイコーロー!」
ホイコーロー!」


○桜井家・キッチン


ひなこ、おたま片手に味噌汁の味をみている。
おもむろに漉し器をつかみ赤味噌を足す。神妙な顔つきですりこぎ棒をぐるぐるする。鍋の中へ味噌が拡がっていく。
「ちょっと」
理香子、腕を組み後ろから見ている。
「いまあなた味噌を足したわね?お味噌を足したわよね」
「うん」
「足りないということはお味噌が不足していたのよね。なるほど。それはいいわ。でも、すりこぎでぴっと取る意味がわからないんだけど」
「理香子ちゃん。ちょっと意味がわからないかな」
「だから」
理香子、下唇を指でなぞる。すりこぎ棒をとりあげる。
「だからね。棒でもそって取る意味がわからないの。そこは軽量スプーンで計り取るべきじゃないの。濃くなりすぎるにしろ、まだ薄いままにしろ、何g足したかって記録が残るじゃない。あんなテキトウじゃ何も残らない。成長が望めないわよ。まああなたの成長なんてどうでもいいわね。なぜ合わせじゃなくて赤を足したのよ」
「ええと……?」
理香子、棒を突き返す。ひなこ、受け取る。
「ううん、なんとなくなんだけど、しまりがないというか、甘すぎるというか」
「しまりがなくて甘い」
「喉にくっとくる感じが足りないかなぁって思って」
「喉にくっとくる感じ……続けて」
「ええ?あとは、えっと、そうだね。近くにあったし……」
「は?」
「あ、合わせ味噌仕舞っちゃったから、これでいいかなって……」
「そんなテキトウが許されると思ってるの」
「お味噌汁ってそういうものじゃなかったっけ」
「どういうものよ」
「お菓子みたいなキチンと計ったほうがいいものと、ざっくり作ってから味見してちょっとづつ調えたほうがいいものってあるんじゃないかな」
「お味噌汁は後者というわけ」
「うん、たぶん……」
「どっちよ。はっきりして」
「そうだと思うよ」
「ふむ」
「お豆腐大きめに切った日はちょっと濃いほうがおいしいかなって思うし、お醤油の残り入れちゃえってなった時は思ったより喉が渇いたりするし、あとは……」
「うちのお味噌汁はニボシ使わないのよ」
理香子、おたまを取り味噌汁の味をみる。
間。口をつけている間、目がどこか遠いところへ向いている。唇を離す。
「悪くないわ」
「よかった」
「あなたが買い込んだニボシはあなたが来ないと消費されないわけ。たまに宗介がおやつで食べてるけど」
「え、ニボシの話?」
「私も入れたほうがいいのかしら。アレ、なんか非効率な気がするんだけど」
「お湯沸かしてる間、蓋の向こうでニボシが泳いでるみたいで楽しいよね」
「私、お味噌汁って苦手なのよ」
「そうなの?」
ひなこ、悲しい顔。
「普通に食べてくれてると思ってた。ごめんね、今日も作っちゃったね……」
「違う、つくるのが。お味噌汁、私がするとなんか豚汁になっちゃうのよね」
「理香子ちゃん、お肉入れてたっけ?」
「入れてない。けど豚汁なのよ」
「わたしはそうは思ったことないけど……」
「違いはニボシじゃないかと思うのよ」
「どうなのかな。でも、理香子ちゃんが納得してないならダメだよね。ただニボシは……そんなには仕事してないと思うよ」
「ニボシじゃないわけ?」
「うん、たぶん」
「じゃあ何が原因なのよ。なんで豚抜き豚汁おかわり、なんて言われないといけないわけ」
「そんな風に呼ぶ人いるんだ」
「宗介のおばさん」
「夏子さん?」
「そうよ。いいかげんあの女はあのふざけた頭をなんとかすべきなのよ」
理香子、拳を握る。パンチを放つか、というところで腕を組む。
「で、なにが違うと思う?私の味噌汁」
「ううん」
「食べたことあるでしょ」
「えっと。そうだね。私はそんなに変とは思わなかったかな」
「でもあるでしょ。なにか。じゃなきゃ蔑称なんかつかない」
「理香子ちゃんの作るところ見てて思うのは、多分ね。もしかしたらだけど。理香子ちゃん、味噌づかいが荒くないかな」
「味噌づかいが荒い」
「えっとね、違うかな。なんて言ったらいいんだろう。でも豚汁っておいしいよね」
「……何の話してるんですかっ?」
翠、二人の間に割り込んでくる。
「リカちん、今日は豚汁?」
「お味噌汁。邪魔しないで」
「今日はね、回鍋肉とお味噌汁。あとサラダとブロッコリーのチーズ焼きだよ」
「おお……」
「あっちで宗介と遊んでなさい。あれ、宗介は?」
「お風呂入っちゃった。頭かゆい!とか言って」
「おっさんか」
「おっさんだよねえ」
翠、理香子の肩ごしにコンロを覗き込む。
「ちょうどいいしあたし帰るね」
「翠、ごはん食べていかないの?」
「食べてきたいけど今日お母さんの誕生日なんだよね」
「ふうん」
翠、冷蔵庫を開ける。チョコレートをごっそり掴み取る。
理香子、息を吐く。
「太るわよ」
「それもう言われた!」


○夜・星


○桜井家・キッチン


水切り籠に並んだ皿が室内灯の明かりを受け光る。
きゅっ、と音をたて閉まる蛇口。
台拭き、水道周りを走る。濯がれ、広げられ、布巾掛けに干される。指でこするとシンク、いい音が鳴る。
静かに台所の照明が落ちる。
「うん」
ひなこ、エプロンを椅子の背にかける。掌で背もたれのカーブを撫でる。満足そうな表情。
「ソウくん」
「うん?」
「わたしそろそろ帰るね?」
「もうそんな時間だっけ」
宗介、フローリングに寝転がっている。腹筋で勢いをつけ起き上がる。時計を見る。
「送ってくよ」
上着を取り、ひなこに渡す宗介。そのまま玄関までひなこの背中を押していく。
ダッシュで戻ってくる。
鏡の前に立つ。シャツの襟を直す。手を洗う。
冷蔵庫からチョコレートの包みを取り出す。ソニープラザ的な紙袋に入れる。懐に隠す。少しはみ出ている。
理香子、ソファで雑誌を開いている。あくびする。
「今日は少し寒いわよ」
「そうなのか」
宗介、部屋に入り、ジャケットを着て出てくる。
「駅まで行くけど。なんか買ってくるものある」
「別に」
「んじゃ。鍵よろしく」
「はいはい。いってらっしゃい」
「おう」
「理香子ちゃん」
玄関から、ひなこ。胸の辺りで小さく手を振っている。
「理香子ちゃん、それじゃおやすみなさい」
「はいはいおやすみ」
理香子、脚を組み直す。テレビを消す。雑誌の頁をめくる。
ドアの閉まる音。
「…………」
理香子、目を閉じる。
雑誌の頁をめくる。雑誌の頁をめくる。
「…………」
ぽつんと机に載る湯呑み。
時計が秒を刻む。
リビングに落ちる静寂。
「…………」
雑誌の頁をめくる。雑誌を閉じる。理香子、立ち上がる。
ひとつ伸びをする。キッチンへ歩いていく。冷蔵庫を開ける。チョコレートが数個残っている。
「いらないわよ」
「いらない」
「いらないわよ」
「甘ったるい」
「冷やしすぎ」
「トッピング、固まってる。ごりごりする」
「ミルクチョコって。子供じゃないんだから」
「なによこれ」
「甘ったるい」


暗転