エロゲー 夏ノ雨 翠ss『予感』

夏ノ雨 翠ss『予感』
説明:ひなこルート、二人の関係に一段落ついた頃。
翠ちゃんの憂鬱、かーらーの。
ひなこss『こころ』も一緒にどうぞ



溜息を吐いた数だけ逃げていく。
よく聞くフレーズ。
でもこれって、ある日誰かが言い出したまま何となくで膾炙した言葉なんじゃないかな。
語感の良さより他に、意味なんて無いんじゃないかな。
賢しげに大人の生き方を語る為だけの、何も語っていない言葉なんじゃないかな。
”人生ってそんなものよ”みたいな。

「はぁ……」

そんなことを考えていました。
バイト上がりで少し疲れているからでしょうか。
ほら、体の疲れは心の疲れって……これも誰かが言った言葉なんでしょうけど。
最近、なんだかしっくり行かないのです。
ちょっとイライラするというか、自分でも明瞭に解ってはいないのですが、そう、悩める十代……みたいな。
ちょっとした、本当にちょっとした悩み事があるのでした。それも……。

「粘膜感染ってなんかエロイよな。あと口腔とか」
「はぁ……」

こんな人のせいで悩んでいるのです。
それも悩みの一つ……ああ、なんだか沸々と……そう。こいつがこんな風だからイケナイんです。そうに決まっています。

「溜息ばっか吐いてると幸せが逃げてくんだぞ」
「はぁ……」
「……おい翠、お前聞いてないな?今なに話してたか覚えてねーだろ」
「覚えてるよ、中身のない話」

ほんのちっぽけな悩みなんです。
あたしにとってもきっと大したことじゃないのです。
それなのにやる事なす事全部その小さな悩みにかき乱されてしまって、それがまたあたしの気にいらないのです。
ほんのちっぽけな不満なんです。
それも、欲求不満なんていうほどのことでもないのです。
ちょっと気に入らないなぁ、くらいのもので、だって自慢じゃないですがあたしは友達が多いほうです。
目の前でドリンクバーのソーダをかき混ぜているこのアホな人と違って。

「はぁ……」

あたしには今ちょっとだけ、悩みがあります。
言葉にするとなんだか悔しくなるんですけど、溜息に乗せて言ってしまうと。
その……。
桜井が最近遊んでくれない……ひな先輩と付き合ってから。さみしい。



ヤリイカと明太子のクリームパスタ、大盛りになります」
「あ、パスタこっちです」
「大変お待たせ致しました。熱いので気をつけてお召し上がりください。こちらチーズフォカッチャのお客様……」
「フォカッチャもこっちです」
「お向かいのお客様、お手元失礼致します。こちら三種のチョリソー盛り合わせになります」
「あっ、それもこっちです」
「え?……し、失礼致しました」
「いいえ」
「……ご注文以上でお揃いになりましたでしょうか。追加注文等ございましたらお近くの店員までお申し付け下さい。それではごゆっくりどうぞ」

時刻は午後五時五分過ぎ。
ちょっと心配になるくらいに空いていた店内の一番奥の席を占領して、ドリンクバーに通うこと数度。
四人掛けの席の向かいには桜井が座ってこっちを眺めています。

「さ、食べようかな」
「……ジュージュー言ってるな、チョリソー」
「そうだね」
「パスタは湯気からパルミジャーノの匂いむんむんだし、フォカッチャは割いたら中からチーズがとろーり出てきそうだな」
「そうだね」
「……うまそうだな」
「桜井、フォーク取って」
「…………」
「メス……ありがと」

冬至が近くなってきたからでしょうか、お店に入る前に見上げた夕焼け空はもう藍色を帯びて暗くなってきています。
唐辛子に赤く染まったチョリソーが鉄板プレートの上で身を捩るような音をたて、立ち昇る湯気が少しばかり窓を曇らせます。
ああ、疲れた体にお肉の匂いが染み入るようです。

「それじゃ、いただきますっ」
「おう……」
「んん!!」
「熱いか」
「あふい、あふい!」
「そうか……」
「はふ、あふいへどほいひい〜。ひくじるがね、もうひゅっとふんほほ、ほふほふはんだよ」
「そうか……」
「うあー、ファミレスだと思って甘く見てたなぁ。パスタもクリームソースとよく絡んでとろとろだよぉ」
「よく噛んで食べろよ。喉に詰まるから」
「うん」
「……喉渇くだろ。飲み物取ってきてやる」
「オレンジソーダで!」

桜井はしかつめらしく頷くと、あたしのコップを攫ってバーカウンターの方へ歩いていきます。
分かりやすいヤツ……。
あたしのご機嫌を取ってチョリソーの一本でも貰おうという腹なのでしょう。
元々その積もりで頼んだので、別にいいですけど。

「ふう……」

実は、あんまりお腹は減っていないのです。
メニューを見つめ物欲しげな顔の桜井を見ていたら、つい”大盛りで””それじゃあフォカッチャも付けて下さい”。
最近気づいたのですが、あたしは基本的に迂闊です。

「翠、ほら」
「うん……あれ、イタズラしてないんだ?桜井のことだし醤油でも混ぜてくるかなぁって思ってた」
「そんなん、ガキじゃねーんだから」
「ふぅん」
「そんなことよりほら、食えよ」
「言われなくても食べるけど……うん、おいし」
「明太子と……ヤリイカのパスタ?」
「そうだよ」
「ご当地B級グルメフェア、福岡代表?」
「そう、そこ書いてあるでしょ」
「……なんかさ、これB級ってオカシくないか」
「はふはふ」
「富士見焼きそばとかならB級グルメって呼ばれるのも解らないではないけど、これ普通に洋食屋で出てくるパスタじゃん。美味いもんと美味いもん合わせただけじゃん」
「いいでしょ美味しいんだから」
「料理としてはいいけどB級グルメとしてどうなんだってことだ。一見あり得ない組み合わせが実はウマイ!ってのがB級じゃねーの」
「アボガドとワサビ醤油みたいなこと?」
「そう、そう。俺アボガド嫌いだけど。口の中でぐじゃってなるし」
「知らないよそんなの……何、このパスタに文句あるわけ」
「文句なんてあるか……それ、ウマそうだもんな」
「だから美味しいんだって」
「いいよなぁ」
「ほら、器の底にたっぷり明太子のクリームソース余ってるでしょ?これに漬けながら食べるともう、コクがあって濃厚でね……」
「そうか……」
「ふふん、このソースにね、フォカッチャ千切って浸して食べてもおいしいの」
「…………」
「ちょっと味に慣れてきたら今度はチョリソーにいくんだよ。ナイフ入れると皮がパリってなって肉汁がじゅわーって、ホラ」
「うああ……」
「でひょう、うん、おいひいんだよ」
「翠……翠さん。ちょっとこれは、お前には量多いんじゃないかなあと、思わないこともないんだが……何なら」
「そうかな?大丈夫だよこれくらいなら」
「う……翠、飢えてるのか」
「飢えてるって何よ……お腹減ってるって言いなさい」
「いや、だってそんなガツガツとさぁ、皿から皿に……」
「なによぉ、悪い?」
「別に」
「……桜井お腹減ってるの?」
「腹減ってるワケじゃないけど、目の前でそんな美味そうに食われるとなあ」
「桜井も頼めばいいじゃん。空いてるからすぐ来るんじゃないかな」
「金ないし」
「そうなんだ」
「ほら、デート代も馬鹿になんないし」
「……ふうん、へえー」
「そんな頻繁に出かける訳でもないけど。行くなら良い店入りたいし美味いもん食べさせてやりたいしで、気がついたら財布空になってるんだよな」
「桜井がお金出してるんだ、意外。偉いじゃん」
「いや、割り勘だけど」
「…………」
「た、たまにプレゼントするヤツは俺の奢りだ」
「プレゼントやる!でもちょっと待ってくれ、割り勘しないか……なんてあり得ないでしょが」
「翠は余裕あるよな、ほら。そんな豪勢に行きやがって」
「ま、あたしバイトしてるしね」
「そっか、そうだよな……」
「……誰かさんがデートにうつつを抜かしてる間、あたしはひとりバイトしてましたから」
「悪かったなうつつ抜かしてて」
「それになんかね、どうしてか分かんないんだけど最近急に暇になっちゃってさぁ。どうしてか分かんないんだけど」
「そうなのか」
「……急に暇になると時間の使い方が分かんなくって、バイト増やすくらいしか思いつかないんだよね」
「ふーん、ま、いいんじゃねーの。そういうのも」

桜井はそんな生返事と共に顎に手を当て、”俺もバイトしようかな……”なんてことを考え始めたようでした。
この……!
あたしがバイトに精を出さなきゃいけないのは誰のせいだ!

「ずずずずずずずず!!」

勢いよくパスタを啜りあげ、フォカッチャを千切っては口に放り込みます。

「うお、翠……どうしたイキナリ」
「はふ、はふっ、ずずずずずずず!はぐっ!」

桜井の目の前で、横からチョリソーにかぶりつきます。
親の仇のように……どうだッ!
そう、これは……雪辱の戦、聖戦です。江戸の仇を長崎で討つのです。
あたしのことほっぽっといて二人だけで楽しく過ごしていた桜井への、正当なる報復行為なのです。

「はあ……はあ……」
「翠……水いるか?」
「うっぷ」

そもそも、ずっとあたしのことなんて忘れてたくせに今日になって急に電話掛けてきて、出ないと見るや”今暇か”なんてメール送ってきて。
”バイト中だよ”って返したら一分と待たず”何時に終わる。今日会えるか”なんて来て。
”店長が四時半であがって良いって””分かった。店の前にいる”。
迂闊にも、ちょっと嬉しくなってしまったのが失敗でした。
何時に終わる、今日会えるか。なんて。
意訳すれば、今すぐお前に会いたい、ってことです。そんなの、嬉しくなるに決まってます。
でも、落ち着いて考えればあたしに会うこと自体が目的な訳ありません。
何か頼みごとがあって来たに違いないのでした。
お金をせびりに来る放蕩息子みたいなものです。信じたあたしが悪いのです。
それに、何か困った事態に陥っているのは明らかでした。
桜井は”悪いな、ドリンクバー奢ってやる”なんて滅多なことでは言わないヤツなのです。
……困った時ばっかり!

「ずずずずずずうずずず!!はふ、うぷっ、はぁ……はぁ……」
「ほら、水」
「んぐんぐんぐ!……ぷはぁっ」
「何なんだよ急に……」
「何なんでしょうねぇ、急に」

この気持ちを嫉妬って言うのでしょうか。
多分違うと思うのですけど。だって、別に桜井と付き合いたいとか、ひな先輩と別れれば良いとか、そんなこと思いません。
桜井とひな先輩の仲が上手くいっているのは、あたしも単純に嬉しいのです。
つまりなんというか、どこかしっくりこないのは、一体何なんでしょう。
恋人が出来たらその人のことを一番に考えるようになる――そんなの分かっています。
河原に集まることが減るのだって、放課後直ぐに帰ってしまうのだって、仕方のないことです。
ただ、ちょっとそういうの多すぎじゃないかなあ!でも大丈夫です。分かっていたことなのです。
優先順位の問題ですから。あたしが少し後ろに回されたってだけで……。
だから、そういうことではなくって。
ひな先輩と恋仲になってから、桜井がどこか変わったように思えるのです。
性格が明るくなったというか、こうだ!と言い切ることが多くなったというか。
クラスであたし以外の人と話すことが増えて、朝はちゃんとおはようって言って、気がついたら誰かと笑い話してて。
彼女が出来て自信がついたということでしょうか。
それともやっぱり桜井は、もう脱……大人になってしまったからでしょうか。
ひな先輩とその、そういうことを致しているらしいので……あんなキレイな先輩と!
そうかもしれません。そうに違いありません。
だって今や、あたしの太もも見ても、ふうんって感じなんです。
前ならちょっと見た後あたしと目が合うと、桜井はヤベッとばかりに視線を逸らしたものです。
それを茶化すと赤くなって、そんなの見てない興味ないの一点張りをするのです。
面白がったあたしがしつこく言い過ぎて、桜井は拗ねてしまって、それで駄菓子を奢って仲直りするんです。
でももうそんなこと、出来なくなってしまいました……。
はぁ……。

「翠、おい翠。お前なんか怒ってるか」
「え……ううん。怒ってなんかないよ」
「そうか?ならいいけど取り敢えず、よく噛んでから飲み込めよ。太るぞ」
「余計なお世話です!……急にお腹減ってきたの。そういうことあるでしょ」

大仰に首を傾げた桜井の反応は打ち棄っておいてあたしは続けます。

「それと、ちょっと考え事してたの」
「そうか」
「……考え事してたんだけど。桜井?」
「何考えてたんだ」
「うん、それはね。桜井は今日あたしに何を頼む気だろう、って」
「うお……」
「顔に書いてあるもん。翠先生お願いしますって。それでね、考えたんだけど。あたしに教えて欲しいのはズバリ、女心でしょ」
「恥ずかしい奴」
「うるさいやい」
「でもまあ……あながち間違ってないかなぁ」
「あれだね、ひな先輩と喧嘩したんだ。それで飛び出してきたんでしょ。桜井が100%悪いんだから今すぐ謝ってきなさい。地に伏して額を地面に擦り付けるんだよ」
「凄い信頼のされ方だ……でも喧嘩なんてしてないぞ。円満、円満」
「円満離婚?」
「違う」
「じゃあ何なのよ」
「それがさ、ひな姉関連ってのは合ってんだよ。でも喧嘩した訳じゃなくて、上手くいってるんだ」
「ふうん」
「なんつーかな。上手くいきすぎてるというか、円満すぎるんだよな」
「あたし帰る」
「待て、こらカバン下ろせ。取り敢えず座って聞いてくれって」
「…………もうノロケない?」
「おう」
「誓う?」
「その冷めかけたパスタに誓う」
「よろしい。続けて」
「ひな姉とは上手くいってる。毎日とは言わないけど家に飯作りに来てくれるし。それにひな姉な、俺のこと好きで好きでたまらないみたいで……帰るなよ」
「えー」
「ひな姉が最近理香子とよく話すようになって、つーか前から理香子が避けてただけなんだけど。家の雰囲気もちょっとは良くなった気がすんだよ」
「ふーん。いいじゃない」
「なんだけど。気付いたらさ、いっつも同じことしてるんだよ。基本的にひな姉は一緒に居られればいいみたいな感じで、そんなの俺だって望むところだろ。それで結局家でぐうたらばっかり」
「もしかして、甲斐性の話?」
「あ、まあ……そうなあ……」
「桜井、諦めなよ」
「いや、でもホラ、何とかしようって気はある。家でぐうたらばっかしてないでデートに連れてこうと思うんだけど、じゃあどこ行くかな。どこでもいい。ひな姉は?どこでもいいよ。これだよ」
「なんかエッチだ……」
「どこがだよ」
「え、だって家でぐうたらって何かの隠語なんでしょ」
「違ぇよ!……違うぞ」
「言い直した」
「お前な……家でヤリまくってるけどそろそろ違う所でもしたいって、そんな相談すると思うか?」
「んー!!んー!!」
「だろ?……こら、暴れるな、落ち着けって」
「ななな……やだ、セクハラ……」
「…………」
「あたしの宗介ちゃんはどこか遠い所に行っちゃったんだ……」
「なあ翠、そっち行っていいか」
「え、いいよ。いいけど……どしたの突然」
「ほら、席詰めろ」
「桜井ち、近いよ。そんな無理やり、え……?なな、何なの」
「いいからもっと壁際寄れ」
「うん……」
「翠、目瞑って……」
「うん……」
「……もらい!」
「ふえ……あー!あたしのチョリソー、こら勝手に食べるな!」
「ずずずずずずず!」
「パスタまで食べたら怒……吐き出したらもっと怒るにきまっとろうが!!」
「ずずずずずずず!」
「ああ……あたしのバイト代が……飢えた獣に……」
「ひょっと冷めへるけどふまいな」
「なにすんのよぉ……」
「いや、食わないみたいだからいいかなと」
「食べてたじゃん、食べてたよぉ」
「そうか?フォークの先で弄ってばっかりだったろ」
「……あーん」
「なにやってんの?」
「あたしにも食べさせなさい。あーん」
「…………」
「あーん」
「あんあん言ってんじゃねーよ発情期か」
「…………」
「くそ、わかったよ……ほら、あーってしろ」
「あーん」
「貪り食え!」
「はぐ、んぐんぐ」
「ウマイか」
「……美味しいよ桜井」
「め、面と向かって言うなよ……なんかハズカシイだろ」
「あっ……ふふ、そうだよね。やっぱ桜井はそうじゃないと」
「はん?」
「女の子慣れしてる桜井なんて桜井じゃないよね」
「……まあ、慣れちゃいないけど」
「あたしね、どうしてか分からないんだけど、桜井がうろたえてるとこ見ると心が温かいもので満たされるんだ」
「なんなんだよ……」
「まあいいじゃん。桜井だってあたしのご飯食べたんだし、お互い様ってことで。お腹減ってるんならもっと食べていいよ」
「ずずずずずずず!」
「えーと、それで何の話だっけ。桜井が家でひな先輩といちゃいちゃしすぎて、リカちんがおかんむり?」
「理香子も俺もひな姉もフツーに家でのんびり過ごしてんの。ひな姉はそれだけで良いって言うけど、もっと二人で色んなとこ行ったりしたいって話」
「桜井、意外にキチンと考えてるんだね……。偉いぞ、頭撫で撫でしてあげる」
「いらない」
「でもそっか……良かった。二人は上手く行ってるんだね」
「まあ、正直悪くないよな」
「それで……つまり、色んなところ行きたいの、色んなの具体例を知りたいんだ?」
「おう」
「女々しい相談だね」
「そういうこと言うなよ……」
「男の子でしょ。当たって砕けなさい。失敗したって、ひな先輩なら笑って許してくれるよ」
「そこをなんとか」
「そもそもさ、デートコースがこうで、ここのブティックに寄って、夜景を見て良い感じになってきたところで……とか、ノート広げてさ、自分のために一生懸命考えてくれること自体が嬉しいんだから」
「でもどうせなら上手く行って喜んで欲しいんだよ」
「面倒くさいなあ……」
「そう言ってもな、一志に相談する訳にも行かないだろ。そしたらお前しかいねーの」
「武田くんはまあ、そうか……」
「だろ」
「桜井って友達少ないよね……」
「そうだぞ。もうちょっと自覚持てよ」
「なんで偉そうなのよ……でも、そっか。桜井が困った時に相談するのはあたしだもんね」
「お前が頼りなんだよ」
「もっと言って」
「お前が頼りなんだよ」
「どうしよっかなあ……桜井、困った時ばっかりそれだもん……えへへ」

二人が付き合い出す前の話になりますが、あたしはひな先輩の気持ちを考えず大ポカをしてしまったことがあります。
その時は必要なことだと信じて疑わなかったのですが今でも、悪いことしちゃったなあと思い出すのです。
ですから、ひな先輩が喜ぶということであれば協力するにヤブサカでないのですが……。

「桜井、こんな時ばっかり調子いいよね」
「それだけ必死なんだよ」
「そう……ま、そういうことなら手伝ってあげようかな。放っといたら、ひな先輩に飽きられちゃいそうだしね」
「ありがとう親友」
「……やっぱお金取ろうかな。五千円」
「何その微妙に重い金額」
「五千円でご声援……なんちゃって」
「それで、ひな姉はどこ連れてったら喜ぶかって話なんだけどな。翠思いつくとこあるか?」
「……別にいいよ。使い捨ての冗談だから」
「ひな姉、カラオケは結構好きなんだよな。ゲーセンは喧しいから好きじゃないみたいだ」
「ふえー……どんな曲歌うの?ひな先輩って」
「なんだろ、懐メロ的な……ほどほどに音痴な。昔からだけど」
「えー、聞いてみたいなひな先輩の歌う声!今度行く時あたしも呼んでよ桜井」
「二人っきりでも恥ずかしがるんだぞ。俺が三回歌う間にようやく一曲入れるからなぁ。翠と大違いだ」
「あれ、好きなんでしょ?カラオケ」
「聞くのが好きなんじゃないか?ああ、だったら翠と一緒でも大丈夫か」
「じゃあさ、とりあえずカラオケは決定ね。あたしと3人で、二人の世界に入るの禁止で」
「おう、ちょっと待てメモ取るから」
「桜井が真面目だ……でも、その必要はないんだよ。これを見よ!」

じゃーん!というセルフエフェクトと共にカバンから一冊の手帳を取り出します。
これこそ、今の桜井に必要なものでしょう。
手渡すと桜井は訝しげな顔でページを捲っていきます。

「あ、やっぱ後ろのほうは見ないで恥ずかしいから……」
「なにこれ」
「あたしが長年書き溜めた、素敵な彼氏とデートで行く場所リストだよ」
「それは恥ずかしいな……」
「返しなさい」
「すまん」
「後ろのほうは絶対見ないこと」
「分かった……ああこれアレだ、一志とひな姉がデートした時の……」
「そうそう」
「いいなあコレ、無尽蔵だ。翠の欲望が」
「他意を持って見ないように。特に行きたいところは星マーク付いてるから」
「花丸は?」
「行った所マークだよ。このプラネタリウムなんか桜井と行ったじゃん」
「そうだっけ」
「ほら、春にさ……桜井は着いたっきり寝てた気がするなぁ。覚えてないか。凄い綺麗だったし座席もふかふかだし、ひな先輩喜ぶと思うよ」
「眠そうだなぁ」
「この際桜井は寝ててもいいんだよ。こういうロマンチックなところに連れてってもらえたら、女の子は嬉しいものなの」
「そういうとこが分かんないんだよな……」
「まあ、あたしにドンと任せときなさい。桜井は20世紀最大の豪華客船にでも乗ったつもりで、ずっしり構えてればいいの」
「それ沈むやつだよなその枕は絶対……」
「そんなこと言うと手帳仕舞っちゃうよ」
「うああ、不沈船!不沈船!」
「うむ。デートで行く場所はこの中から、あたしが責任持って選出してあげましょう。差し当たってはカラオケかな……ただし」
「ただし?」
「桜井はあたしと下見に行くように!」
「はあ……なんでだよ」
「ひな先輩をスマートにエスコートしたいんでしょ?それなら下見は必須だよ」
「金無いしなあ」
「なによぉ、お金、お金って……あたしだって行きたい場所なんだもん。付き合ってくれたっていいじゃん」
「彼氏作ってそいつと行きゃあ……痛って、ちょっ痛、痛い」
「んー!!んー!!この!!」
「悪い、悪かったから」
「言ってはならないことを言った!断罪!断罪!」
「すまん!」
「もう言わないか!」
「言いません!」
「一緒に下見に行くか!」
「行く!」
「あたしのこともちゃんと構うか!」
「構う!」
「……本当?」


暗転