エロゲー 夏ノ雨 ひなこss『電話』

夏ノ雨 ひなこss 『電話』
説明
ひなこ/翠ルート
翠と宗介が一志の片思いを成就させるべく暗躍する。手始めに、ひなこを一志とのデートに誘うため電話をかける宗介。



「きゃっ!!」

茂みからガサゴソと音が聞こえて、思わず声をあげてしまう。

体が固まってしまって動けない。

(誰かいるの……?)

……数瞬後に、にゃあという鳴き声が耳に届く。

緊張の反動か、くたくたと体中の力が抜けていくのがわかった。

その拍子に手に持っていたビニール袋まで落としそうになってしまう。

(びっくりした……)

家に最寄のスーパーからの帰り道。

毎日通る歩きなれた道。

目を瞑ってても歩けそう、なんて、夕方学校から帰ってくるときにはそんな風に思える。

椿の花がつきはじめたとか、ここのおうち、新しくリュウノヒゲを植えたのね、とか。

ぼーっと周りを眺めながら家に帰るのはきらいじゃない。

でも、それは明るいうちのこと。

夜となったら話は別だ。

ちょっとした裏道になっているからか、街灯がついていないのだ。

暗い夜道をひとりで歩くのはやっぱり心細い。


お父さんが珍しく、ご飯を食べずに帰ってきたのが一時間くらい前。

いつもはご飯どころか、わたしが眠った頃に帰ってくる。

だから、ただいまの声がした時はちょっとびっくりした。

それから急いでご飯の準備をして……

生姜を切らしてることに気がついた。

半欠けのにラップして、チルド室に入れてたと思ったんだけど。

ソウくんの家の冷蔵庫と勘違いしたのかな。

(ハンバーグに生姜がきいてなかったら寂しいよね)

そう思って、近くのスーパーまで買いに出たのが十分くらい前。

行く道は気がつかなかったけど、スーパーの自動扉を出ると、夏の日も落ちて辺りはもう真っ暗だった。



(まわり道して帰ればよかった……)

さっきのガサゴソは猫みたいだったけれど。

一度気になるとなんだか、木の葉の風に揺れる音も不気味に聞こえてくる。

自分の足音も、まるで後ろから誰かが追いかけてくるみたい。

(それで、振り返った瞬間に襲われるの)

黒い覆面が脳裏に浮かんで、馬鹿馬鹿しいけど、そのイメージはなかなか離れてくれなかった。

(走って帰ろう……)

そう決意して、落としかけたビニール袋を握り直したとき

ブブブブブブ!ってお尻が震えて、また声をあげそうになる。

(びっくりした……携帯電話)

そんなに電話やメールをする方じゃない。

いつもはバックに入れっぱなしだけど、たまたまポケットに入ってたみたい。

(誰だろう……? お父さんかな)

ポケットから取り出すのにちょっと手間取る。

それから画面をスライドさせたら、ソウくん、と表示が見えた。

(ソウくん!)

胸が高鳴る。

なんだか急に道が明るくなったように感じる。

携帯電話のバックライトのせいかもしれないけど。

じーっと震える画面を見つめる。

何度見ても間違いなく、表示はソウくん。

しばらく放心していたことに気がついて、慌てて通話ボタンを押した。


「あー、もしもしひな姉?」

ソウくんの声が聞こえる。

さっきまでとは別の意味で、心臓がドキドキしてくる。

それを一生懸命抑えて、出切るだけ、なんでもないような声を出した。

「ソウくん? どうしたの?」

「いや、大した用事じゃないんだけどさ……」

ちょっと間が空く。

ソウくんは、大した用事じゃなくてもわたしに電話かけてくれるんだ。

そう思ったらえへへ、って変な声が漏れそうになった。

慌てて頬を引き締める。

さっきまでの心細さがいつの間にかいなくなって、なんだか体がぽかぽかする。

「あ、あのさ。今からヘンな事言うかもしれないけど、黙って聞いててほしいんだ」

「?」

ソウくんの声が、なんだか緊張してる。

「一志、わかるよな?」

「武田くんがどうかしたの?」

「今度、暇な時でいいからさ、あいつと二人で、どっか遊びに行ってやってほしいんだ」

「私と武田くんが……遊びに行くの?」

武田くんはソウくんが仲良しの男の子。

川原で二人、よくサッカーボールを蹴っている。

でも、わたしはそんなにお話ししたこともないし。

わたしと武田くんが遊びに行くの……?

「あー、ようするにだな」

「一志とデートしてやってくれないか?」

デート……

予期せぬ単語に、思考がストップする。

「どうかな?」

デート。

恋人。

わたしと武田くんがデートする。

それを、ソウくんがわたしに、頼んでる。

ソウくんの言葉に胸が、きゅーって締められたみたいに苦しくなる。

「デート……するの?」

ソウくんは、わたしが他の人とデートしても、平気なの……?

「ほ、ほら、夏休みだし。そういうイベントもあっていいだろ?」

「…………」

「だ、ダメならダメって言ってくれていいぞ」

「うん……」

「でも、そんなに嫌じゃないんだったら……一志の思い出作りに協力してやってくれないかな?」

わけが分からなくなった。

とにかく会話を打ち切りたい。

さっきまであんなに聞きたかった声を今は、聞きたくない。

ソウくんがなにを考えてるのか、全然分からなくて。

気がついたら、涙が出そうになっていた。

「ソウくんがそう言うなら……」

しばらくの沈黙の後、そう言った。

ソウくんは何を考えてるんだろう。

ひなは天然だから、デートって言わないと分かりづらかったかな、とかそういう類のことかもしれない。

天然にだって感じる心はあって、

好きな人からこんなことを言われたら、悲しいに決まっているのに。

「悪いな、ひな姉。せっかくだから、楽しんできてくれ」

「うん、わかった」

詳しい事はまた今度、と言って、もう一回謝ってからソウくんは電話を切った。

気がついたら、もう家は目の前だった。



ソウくんがなにを考えてるのか全然分からなくて。

気がついたら涙が出そうになっている。

ひとつだけ心当たりはあるけれど、今はそれを考えたくない。

けれど、そうしてる内に勝手に頭はそれを認めてしまう。

五年前の夏の日。

ソウくんが、引っ越してしまう日。

その日、わたしはソウくんにキスをして

それから一度も、ソウくんは帰ってきてくれなかった。

五年前からずっと、わたしはその理由を考えていて、

結論はいつも同じだった。

ソウくんにとって、わたしは……

……わたしは、恋愛の対象じゃないってこと。

わたしがソウくんのことを想うようには、ソウくんは思ってくれることはない。

いつまでも、甘やかしてくれるお姉ちゃんのまま。

もっと言うと、お母さんの代わり。

夏子さんが甘えさせてくれないから、その代用品のわたしに懐いて、甘えてくれていただけだって

特別な感情じゃないって。

ソウくんがこっちに出てきてから二年間と少し。

わたしは田舎で、そのことばかり考えていた。

わたしは、ソウくんにとってお母さんの代わりの役。

それか、ちょっと天然の入った幼馴染のお姉ちゃんの役。

そして、それ以上は求めてくれないってこと。

わたしの気持ちは、ソウくんには迷惑なんだってこと。

この結論に至るたびに、わたしは悲しくなって、

でもしばらくするともっと、ソウくんに会えないのが寂しくなった。

ソウくんは大きくなったかな。

日焼けして、顔も大人っぽくなったのかな。

ピーマン食べられるようになったかな。

クワガタが逃げても泣かない強い子になったのかな。

それから……わたし以外の誰かに、初恋をしたのかな、って。

二年待って、でも、ソウくんは会いに来てくれなかった。

もう二度と会えないかもしれない、そう思ったら我慢がきかなくなって、

進学するのをきっかけに、こっちに出てきた。

その時に、決めたの。

もう避けられるのは嫌だ。

ソウくんに会いたい。

すりむいた膝を消毒してあげて、沁みて痛そうな顔をみていたい。

ソウくんの好きな料理をテーブル一杯に作って、びっくりした顔が笑顔に変わる瞬間をみていたい。

だから。

会っても、抱きしめて、キスするのは我慢する。

ソウくんが望んでくれるなら、お母さんの役でいい。

それ以上は、わたしの勝手な気持ちだから……

……

ブーッ!!と何かを吹き出す音で、思考は中断された。

どうやらわたしはダイニングテーブルに座っている。

テーブルには料理が並んでいて、向かいに座るお父さんは……目を白黒させていた。

「お父さん?」

「ごっほ……けほっ……」

「お父さん、大丈夫?」

お父さんの服からお味噌汁が滴っている。

布巾をひとつ宛がって、代わりを取りにキッチンに走った。

「んんっ……んっ。大丈夫。ああ、ごめんねひなこちゃん。後はお父さんやるから」

床にはそれほど零れてないみたい。

それにしても。

「お父さん、どうしたの?気管に入った?」

「いや……えっ?ひなこちゃんは……ううん」

どうにも要領を得なくて、首を傾げていると

「ひなこちゃん、お味噌汁飲んでみてくれる」

「え……お味噌汁?うん……?」

言われるがままお味噌汁を口に含んで、それでわたしの疑問は氷解した。

「ダシ……入ってないね……」

テーブルをよくみると、ハンバーグもなんだかぐちゃぐちゃだ。

まるで挽肉を固めて焼いた、みたいな……

つなぎが入っていないのだろう。

そういえば玉ねぎを刻んだ覚えがない。

そもそもお料理をした覚えもないけれど……

「ごめんねお父さん、すぐ作り直すから。それ、食べちゃダメだよ」

そうしてキッチンに走ったひなこは、買ってきた生姜が転がっているのを見つけるのだった……


暗転