エロゲー 夏ノ雨 ひなこss『次の次の日』

夏ノ雨 ひなこss『次の次の日』
説明
共通ルート、一志がひなこの料理を食べに来た次の次の日。
理香子が料理上手になってしまった。ひなこ、存亡の危機!



「ただいま、あー、腹減った」

「ソウくん?」

「うん」

(尻だ……)

夕日がなかなか沈もうとしない、真夏の日暮れ時。

玄関に入ると、健康的なお尻が出迎えてくれる。

「何してんの?」

「わわっ……」

脚立がガタガタと揺れる。

左右にひらめくスカートに目をそばめ……ている場合じゃない。

「きゃあっ!」

ガチャン、と嫌な音を立てて脚立が倒れる。

「危ないっ」

手を伸ばし、なんとか腰を抱きとめた。

「おっ……と」

「あれ……わたし、落ちた……?」

「落ちてない。さらに言うと、脚立は降りるものであって落ちるものじゃないぞ」

見上げると、真上にソケットが覗いている。

(ああ……電球を換えてたのか)

「ほらっ」

ひな姉の足を床にゆっくり下ろす。

重さに、腕がぷるぷるしてきたからだ。

黙っておこう。

「ソウくん。ありがとう」

「あー、いや、俺が後ろから声掛けたから。それでびっくりさせたんだろ」

「ううん」

ひな姉がそっと体を寄せてくる。

「ソウくん、おかえりなさい」

怪我がなくてよかった。

手に、感触が蘇ってくる。

なにかもの凄く柔らかいモノを握ったような……

「…………」

(どこ触ったんだろ……)


「あなたたち!なにしてるの」

剣呑な声が廊下に響く。

ドタドタと、ばん馬のような歩き方で理香子が近づいて来る。

目が合ってしまった。

「宗介、なにやってるのよ」

「なにって……」

視線を下ろすと、ひな姉の腰にまだ腕がまわっている。

「ごめんっ!」

「ううん」

慌てて腕を引き抜くと、はにかんだ返事。

「…………」

「…………」

妙な空気になった。

「…………」

「ねえ宗介。ちょっと話があるんだけど」

「理香子、これは……違うくてだ」

「いいから、ちょっとこっち来なさい」

「理香子ちゃん。あのね」

「先輩は晩御飯。あなたのソウくんがお腹空かせてますから」

「なんか悪意こもってないか」

「こもってません。ほら、宗介はこっち」

回れ右。前へ進め。

無理やり朋実ーー妹の部屋に引っ張り込まれた。

それも、『やっぱり先に手洗いうがいしてきなさい』、の後で。

お母さんか、お前は。

でも、俺は大人しく従った。

ちょっとした衛生管理が健康を守る上で大事だからなのは言うまでもない。

理香子の目が冷たかったからではなく。



「あのな理香子、さっきのは不可抗力と言ってだな」

「そうね」

「だからなんでそんな白眼視されなきゃいけないんだ」

「してないわよ、別に」

「明らかに態度が冷たいんだが……」

「それに私としては、宗介があの人に横溢する青春の劣情をぶつけようがぶつけまいが、そんなことはどうだっていいの」

青春の劣情。何を想起したか言った本人がちょっと恥ずかしそうだ。

「とにかく、それは本当にどうでもいいのよ」

理香子が表情を直して言う。

「宗介、あなた昨日あの人に電話したでしょう」

「あの人って……ひな姉だろ」

「そうよ、あの人」

「昨日……いや、かけてない」

「それなら、一昨日。それか、今日の朝」

「……かけてないぞ」

電話が一体なんだというんだ。

「……あのね宗介、ちょっと聞きなさい」

「いいけど」

「今日あの人がうちに来たの、何時だと思う?」

「何時ってそりゃ、晩飯作りに来てくれてるんだから夕方だろ」

「いいえ」

何故か軽くはたかれる。

「夕方じゃなくて、朝から来てるのよ」

「はあ……」

「朝も朝、宗介が補習に出て行って数分後よ。ウチの玄関のベルが鳴りました」

「へえ……」

「もっと具体的に言うと、私が宗介も出て行ったし二度寝でもしようと布団に入ってすぐ」

苦いモノを噛み潰すような表情で理香子が言う。

……顔が恐い。

「私、朝ご飯の時に言ったわよね。今日は天気もいいし二度寝するわ、って」

「言ってたな。人がこれから補習に行くっていうのにウキウキ顔で」

文句を言って逆に言い負かされたとこまで覚えている。

「でも仕方がないから出るでしょう。あの人が、おはよう理香子ちゃん、とか言いながら入ってくるじゃない。それから、最初に何をしたと思う」

理香子がずずいっ、と近づいてくる。

「それから」

「それから……?」

「入ってくるなりベッドをひっくりかえして布団を干し始めたのよ!」

(うわぁ……)

理香子は、いまいましげな表情で続ける。

「しかも、あの人、干し終えたと思ったら今度はリビングで大掃除始めるのよ」

「…………」

「今さっき宗介が帰ってくるまでずっとバタンバタン煩かったんだから。もう、落ち着いて本も読めやしない」

「掃除。掃除ねえ……いいことじゃないか。ウチは誰も掃除しないし」

「私だって掃除くらいするわよ」

「でも手伝わなかったんだろ」

「手伝いは……してないけど。何よ、宗介だってしてないじゃない」

「そりゃ居なかったからな」

「宗介に言われる筋合いはないわね」

それもそうか。

「私だってね、ちゃんとしかるべき時にしかるべき手順を踏んで告知されれば掃除くらい手伝います」

「本当か?」

「それに私、そんなに掃除嫌いじゃないし」

ダウト。

こいつはなんというか……凄く男らしい性格してるからな。

そういうところは別に嫌いじゃない。

「……つまりだ。お前はひな姉がわざわざ朝早くから来て、ウチの掃除をしてくれたから、怒っているわけだ」

どこの姑だ。

「ちょっと。表現が正しくないわよ」

「どこが」

「タイミングの問題よ」

「タイミング」

「今は年末じゃないの。夏真っ盛りよ。セミが鳴いてるの。このタイミングで大掃除を始めるのは変でしょう」

「そうか……?」

「宗介、よく考えなさい。変なことなのよこれは」

そう言われるとそんな気がしてくる。

「私だって、掃除してくれる分にはありがたいと思うわよ。でも、いつもみたいにサッと済ませればいいわけでしょう。一日掛けて大掃除するのは変」

「ううん……」

「だから宗介。あなたが昨日電話して、何かけしかけたんじゃないの」

「いや……少なくとも、掃除をしてくれなんてことは言ってない」

「そう……」

「なんか急にしたくなったんじゃないのか」

「そんなことあるわけないでしょう」

「お前はないかもしれないけど」

ひな姉は思考が独特だ。

付き合いは長いが、たまについていけない時がある。

「あるかもしれないだろ、テスト前みたいな感じでさ」

「ううん……」

「それにまあ……ひな姉のやることだし」

「なによそれ」

「ほら、ひな姉は天然だから」

「天然……」

ひな姉の自伝が出るとしたら、帯にはそう書かれることだろう。

「まあ……そうなのよね……」

理香子が遠くを見るような目をする。

会話が途切れた途端、ひぐらしが一斉に鳴き始める。

夏の夕暮れのすこし素っ気無い空気に、理香子の髪の匂いが混じる。

(暑いな……)

それを切り裂いて、聞き慣れたソプラノが届いた。

「ソウくん、理香子ちゃん。ごはんできたよー」



「怒りの遣り場がないじゃないのよ!」

そう言った理香子は飯を恐ろしい勢いでかき込み、ベッドでダウン。

これであの体型なのだから世間の女子に喧嘩を売っているとしか思えない。

俺としてはお陰で一番風呂をもらったから、別に否やはないが。

この時間帯のテレビはどのチャンネルもバラエティー一色だ。

中身の薄っぺらさがソファで寝そべって見るのに丁度いい。

ひな姉も、一仕事終えた顔でお茶を啜っている。

「ソウくん、今日も川原でサッカーしてきたの?」

「ああ」

「楽しかった?」

「別に、いつも通り。一志と二人だし。あいつ体力馬鹿だから、負けてやるまで終わんないし」

「うふふ、楽しそう」

「だから、普通だってフツー」

夏の大会も終わり、三年生の引退も目前だ。

三年が引退したらすぐに、俺と一志とそれから翠はサッカー部に復帰することになっている。

(川原でサッカーするのも、もう終わりか……)

それは喜ばしいことだ。

広いグラウンドなら川ポチャを気にする必要もない。思いっきりボールを蹴れる。

(それに、懐かしくなったら休みの日にでも集まればいいんだ)

「ソウくん。それなら足、疲れてるよね。あのね、よかったら、マッサージしてあげよっか」

「マッサージ?」

「そう、マッサージ」

「マッサージねえ……ひな姉って上手かったっけ」

「それは分からないけど、スッキリすると思うの」

「うん……いや、いいよ。いつものことだし」

「そう……」

なんでマッサージが出てきたんだろう。

(必殺技でも会得したのか……)

それを試してみたいのかもしれない。

「それじゃ、肩揉みはどうかな。ふふっ、わたしね、肩揉むの上手なの。田舎にいるときね、おかあさんがいっつも肩揉んでって」

「いや……それもいいや」

「だめ……?」

「それに、ひな姉は晩飯作ってくれただろ。そっちの方が肩凝るって」

「そう……」

なんだか、残念そうというより悲しそうな声だ。

顔はテーブルの影に隠れて見えなかった。

「ひな姉、肩揉んでやろうか」

「ソウくんが?」

「多分うまいぞ。いつも誰かに揉まされてるしな」

「……ううん。わたしは、そんなに凝ってないと思うし」

凝ってるだろう。

ひな姉は立派なものをお持ちですし……

いや、あれは間違いなのか。

よくある、『わたしの胸、重いからすぐ肩凝っちゃうのよね。ホント困っちゃう。あなたが羨ましいわ』

こいつはある種の自慢なんだろう。

実際はそれほど凝らないのかもしれない。体全体で支えているわけだし……

(そういえば、女の子のおっぱいは体中の脂肪が集まってできてるんだ、って翠が言ってたな……)

夢も詰まってるけどね、って何故かしたり顔で。

どういう理屈でそうなってるんだ。つまんで引いたら動くのか。

なぜか浮かんだミシュランタイヤくんの脂肪をつまんで引いてみる。

(無理だろ……)

渋い声で怒られそうだ。喧嘩に発展するのはまずい。

それに奴に詰まってるのは脂肪じゃなく、合成ゴムに違いない。

それで某菓子パンマンよろしく、パンクで困ったドライバーにお腹のタイヤを配るんだ……

(でも性別不詳か)

翠の話は本当かもしれない。

なにせ、女の子はよく分からない生き物だ。ミシュランくんと比べるのは失礼な話だけど。

彼女達の胸には体中の脂肪が集まっていて……

しかし、すると腹やふとももの肉を揉むのは胸を揉むのと変わらないということで……

ということは……


「ソウくん、久しぶりに耳掃除しよっか」

「うんー?」

眠気に、力の抜けた声が出る。

思考もどこかに飛んでいた気がする。

「耳掃除ー?」

「うん、耳掃除」

いいかもしれない。

あの、体の内側をこすられる感覚は想像するだけで気持ちがいい。

「いいの?」

「いいの。うふ、よかった」

ひな姉が立ち上がる音、パタパタと遠ざかる音。

それからすぐに、いそいそと戻ってくる。

(綿棒とベビーオイルを確保……)

「ソウくん、ちょっとだけ頭あげてね」

ぐぐぐ、と腹筋を入れたら体がぷるぷる震えた。

「くはっ」

着地。

目を閉じたまま、据わりのいい位置を探してうねうねと動く。

この枕はやたら柔らかくて温かい。

(それになんか、いい匂いがする……)

優しく頭を撫でられる感触に、意識は急速に遠のいていった……

…………



「すけ、宗介」

悪魔が来たりて体を揺する。

「宗介、起きなさい」

「理香子ちゃん、このまま寝かせてあげよう」

これが天使の声。

「あのねえ、あなたそれだと帰れないでしょう」

「ソウくんの家にお泊まりするって電話したらいいかなって」

「それは……誤解を生むわよ。間違いなく」

「誤解?」

「その、お赤飯炊かれたりとか……まあいいわ。ほら、宗介。起きなさい!」

鼻を思いっきり摘まれる。そのままぐるぐると回される。

「う、痛ぇ……」

目が覚めると同時に、涙が溢れてくる。

「ソウくん、おはよう」

「ほら宗介、早く立ちなさい」

死体に鞭打つような声。

「理香子さん鬼畜」

とはいえ、上体がなにやら柔らかいものに包まれている。

起きようにも暖簾に腕押しぬかに釘、豆腐に……なんだ

「何寝ぼけてるの。ほらっ」

腕を掴まれて、ぐいっと引き上げられる。

自分の足で立ってみると、眠気は思いの他素早く霧散していった。

「寝かせてくれ……」

「宗介、あなたこの人を駅まで送っていきなさい」

「わたし一人で帰れるよ?」

「あのねえ……時間も時間ですから」

「今何時?」

言いながら時計を見上げる。

短針は今にも頂点を極めようとしていた。



「それでね、理香子ちゃんが猫っかわいがりしてるの。もう、好き好き好き〜って」

「そんなことしてません」

「うそ、してたよ。それもずーっと」

「孤高を気取っててもエサを前にするとすり寄ってくる姿が無様で面白いだけです」

「うふふ、かわいい」

猫が、それとも理香子が?

いや、ひな姉にとってみればどちらも同じようなものなのかもしれない。


結局、三人で家を出た。

理香子もコンビニに用事があるらしい。

「あいつやたらと理香子に懐いてるんだよな」

理香子から魚の臭いがするのかもしれない。

言ったらタコ殴りにされそうだ。

「うるさいわね。あんなの鬱陶しいだけよ」

「そんなもんか」

「そうよ。足元でニャーニャーニャーニャー言っちゃって。丸い瞳で見上げてきたりして」

「かわいいじゃないか」

「今度寄ってきたら蹴飛ばしてやろうかしら」

「朋実が見たら泣くぞ」

「そうね」

日付けも変わろうかというのに、Tシャツ一枚でもまだ蒸し暑い。

何ともしれない虫の声と足音が、耳に心地よいリズムを作っている。

ひな姉の歩き方も、どこか楽しく跳ねるようだ。

(一昨日はどうも塞いでるようだったけど……大したことじゃなかったみたいだ)

「そういえば、あのね理香子ちゃん」

「なんでしょう」

駅の明かりもかなり近づいてきた。

「子猫を持つときは首筋を掴むんじゃなくて、背中をちゃんと抱えてあげた方がいいと思うよ」

「…………」

「…………」

「そうですか。それはありがとうございます」

「ふふっ。どういたしまして」

ひな姉の善意の言葉が、暗闇に響く。

帰りに、理香子は猫缶を買った。


暗転