エロゲー 夏ノ雨 ひなこss『ハムレット』

夏ノ雨 ひなこss『ハムレット
説明
理香子ルート、停学処分を受ける宗介。感傷的になるひなこさん



「汚れっちまった悲しみに……」

意識せず、言葉が口を衝いて出る。

どこか聞き覚えのある文句。

静寂の支配する図書室に沁みこむ様だ。

わたしの心にも……また。

詩句は目的を持たず流れていく。

「汚れっちまった?」

一体何が。

詩句は目的を……持っていないのだろうか。

それで満足して存在できるのだろうか。

もしそうなら、どれほどか羨ましい。

生物学がやがて生物の、生きる普遍的な意味を否定したように。

詩句は生まれながら場の副産物で、それ自体ではコンパクトでなく。

つまり、ぎっしりと詰まって満たされた状態ではなく。

どこか欠けている……それでいて、満足できる。

そういった存在なのか。

もしそうなら、どれほどよいだろう。

わたしもいつか、そのような境地に立てるのだろうか。

ううん。

いつか、ではなく。出来るだけ直ぐに。

わたしのなにか袋の緒が切れてしまわないうち。

汚れっちまった悲しみは風雪に堪え、寒け立って縮こまり……何も望まず、願わず。

たしか、次の文句で結ばれる。

「なすところなく日は暮れる……」



昨日の夜。

最近少し遠慮してたけど、たまにはいいよね、って。

そう自分に言い訳して、初モノのカボチャが売ってたのって言い訳を考えて。

ソウくんの家に晩御飯を作りに行くことにした。

理香子ちゃん気を悪くしないかな。

それが不安で、でももう材料買っちゃったし、家までもうすぐだし、って自問自答の繰り返し。

なにかイケナイ事をしている気分。

でも気のせいよねって打ち消して、もう少しで会えるって楽しい想像に身をまかせた。

ソウくんは……どんな顔で迎えてくれるかな。

よく来たな待ってたよ!

歓迎の声は聞けないだろうけれど。

迷惑そうな顔、うっとうしいって顔……だったらまだ、我慢できる。

理香子ちゃんと付き合い始めたって聞いてから、数週間。

恋人と二人の時間のお邪魔をしようとしているんだから、それくらいは仕方ない。

涙が出るくらい悲しくなるかもしれないけど。

でもソウくんならきっと、食べ終わったらごちそうさま、って言ってくれる。

ソファで満腹のお腹をさすっているのを後ろから見ていても、しばらくは許してもらえるんじゃないかな。

帰れよ。

その一言だけは言われないように。

もし喜んでくれても、長居するのはよそう。

それだけ決めて、ソウくんのマンションのインターホンを押した。

ピンポーン、とどこか力の抜けた音。

どんな反応をされてもいいよう、身構えているわたしとは対照的。

しばらく待って、もう一回インターホンを押した。

息を吸って、静止、緊張、緊張。

でも、答えてくれるのは沈黙ばかり。

「お留守かな……?」

はふう、と力が抜ける。

それから、自分の心臓がまだとんでもない速さで脈打っていることに気がつく。

両手のお買い物の袋を置いて、深呼吸。

息を吸って、吐いて。

落ち着いて、なんでもないように。

そうしているうちに、下から声が聞こえてきた。

「宗介……」

「……子……」

(二人とも帰ってきたのかな)

そう思って、扉の反対側、道路に面した踊り場へ、トトと駆け寄る。

日暮れの空に身を乗り出すと、遠目にもそれとわかる二つの影。

手を繋いで、人の字のように寄り添っている。

(仲、いいんだなあ……)

ぼーっと眺めているうちにすぐ下まで近づいてきていて、わたしは

おーい、って呼びかけようとして……

息を呑んだ。

「んっ……んちゅ……くぷ」

「あん……ん……ん、じゅずるっ……」

「はむ……んん、えるっ……んんむっ……くはっ」

「はあっ……はあ、こら、宗介。家まで、はっ、待ちなさい、ってば、んっ」

「んちゅっ……んく……いいだろ……な……んむっ」

「こら……はんっ……んつ、よく、ないわよ……」

そのまま、ゆっくりと階段を登る音。

カカツン、カツン、繋がった二人の足音が不規則に響く。

「つっっ……!」

わたしは置いた買い物袋をひっつかんで急いで、とにかく急いで上階へ。

音をたてないよう靴は脱いで、手に持って。

はあっ、はあっ、って息が漏れるのを必死で抑えて、階段を駆け上がる。

途中で足がもつれ、地面にへたり込んだ。

「はあっ……つっ、はっ、はっ、はあっ……」

膝を抱えてちいさくなって、気配を窺って、

でも、呼吸とか、ガサガサいう買い物袋とか、わたしの出す音で全部かき消されて

コンクリートの地面は冷たくって。

ガチャ、バタン、と音が聞こえてからもまだ、しばらく動くことはできなかった。

……

五分……十分……どれくらいか時間が過ぎる。

小石が足に刺さる痛みだけ、ジンジンと痺れたようにいつまでも残っていた。



「はああぁ……」

もう今日十何度目かの、溜め息。

幸せなんて、もうひとっ欠けらも残っていないだろうから。

いくらついても平気。

「キスした、キスしてない、キスした、キスしてない、キスし……っっ!」

「…………」

「えいっ」

紙を机に放り投げて、なかったことにする。

「キス……」

ソウくんと理香子ちゃん。

キス……してた。それもすごく。

思い出すと頭もお腹も痛くなって、なにもしたくなくなる。

こうして図書室の机でぐたーってして、頭を空っぽにしようって努めて

でも気がついたら昨日のキスのことを反芻してる。

(昨日の……道端で……抱き合っててっ)

理香子ちゃんはソウくんに抱きしめられていて。

(濃厚な……ああいうのはっ、んんっ)

頭の中に、あの時のソウくんの声が蘇ってくる。

(ダメ……)

唇を押し付けるようにして、強引に、貪るように……

あんなことされたら、きっとゾクゾクして、体は言う事を聞かなくって

ソウくんのなすがまま、好きに……

(駄目っ!!)

頭をブルブル、って振って妄念を追い払う。

「はあっ、はっ、はあぁ……」

嫌な汗で体中がベトついている。

もう慣れてしまって、拭く気にもなれない。

昨日の、あれからずっと、キスのことばかり考えている。

今朝起きてからわたしが絶えず嫌な気持ちなのは、この汗のべたべたするせいだ。

「涼しい風だね」

そう口にしてみても、一向に涼感は得られない。

暑いわけでもなく、寒いわけでもなく。

というのも今や秋口で一年で最も過ごしやすい気候であるからで、

それでも頭は、体は、不快を訴え続けている。

(おなか痛いよ……)

ソウくんがここにいて、優しくさすってくれたらいいのに。

大丈夫か、って。俺がついてるぞ、って。

もしくは、ばーか変なもん食うから腹壊すんだぞ、って。

それで、心配そうに覗きこんだ顔で、わたしのほっぺたに……

「はああぁっ……」

思考はいつまでも同じところをぐるぐる回っている。

ゆっくりと、円を描くように。そして、偶に飛び出しては……また、元の運動に戻る。

このまま、ソウくんと結ばれることがなかったら……

(せめて、ソウくんの赤ちゃんが欲しいな)

そうしたら、子供の顔を見に、ソウくんが会いに来てくれたりとか。

夫の顔で、わたしに笑いかけてくれたりとか。

男の子だったら、一緒にサッカーをして、

わたしは、それをベンチから見守っている。

お腹がすいたらおにぎりと唐揚げのお弁当を三人で食べるの。

その様子は、傍から見たらまるで仲睦まじい夫婦みたいで……

でも、そうするためには、その……をする必要があって……

そこまで考えて、そんなのイケナイんだって、理屈だけで否定する。

何度繰り返したか分からないいつもの作業。

えらいもので、反復は幸せに塗り固められた妄想すら、研ぎ澄ましていく。

(そういうのはまだ……もっと大人になってから)

慣れが感覚を麻痺させる。

(それにキス、あんなのだって……まだ、早いよ)

「ソウくんのキス……理香子ちゃんと……」

でも……でも。

わたしがもの凄くよく知っていること。

五年前、ソウくんが引っ越して行ってしまう日のこと。

「ソウくんのファーストキスは……わたしだもの」

あの時のソウくんの髪の毛の匂い、唇の感触、びっくりした顔、長いまつげ、肌の温もり。

……うっとりするような唾液の味。

五年前のことでも、昨日のことのように思い出せる。

そう。

それは絶対、変わらない、事実のようなもの。

(ファーストキスは一回だけだから……)

ソウくんのファーストキスは、わたし。

わたしとソウくんのもの。

そこに理香子ちゃんの介在する余地はなくて……

ちょっと幸せで、恍惚として、

それから、理香子ちゃんにすごく申し訳なく思う。

こうして、何も悪くない理香子ちゃんに嫌な感情を持ってしまっている自分が汚らしく映る。

例えば、ファーストキスはわたしのものだとして、

2から先は全部理香子ちゃんのものなんだ……って想像した時のわたし。

きっとひどい顔をしてる。

「こんなんじゃ、ソウくんに嫌われるのも当然……」

ソウくんに嫌われる。

そんな言葉がふと口に出て、それは本当のことではないと念じて

(でも、わたし、いっつも後をつけ回して……しなくていいことばっかりして)

本当のことじゃないの?

「嫌われて……ない。ないよ」

やだやだ、って頭から追い払うことしかできない自分が情けなかった。

いくら目を瞑って、耳をふさいで、光の速さで駆けて逃げても

不安は、影のように切れず追いかけてくる。

自分の目から涙が零れていることに気がつくと、それは更に勢いを増した。

もう直ぐ後ろに影は迫っていて、でも一向に止めを刺してはくれないんだ。

「ひっく、ふええ……」


……


……


「んっ、ううん……」

泣きはらして体が疲れたからか、今は頭も少し攻め手を休めている。

ごしごし、って顔をこすって上体を起こす。目がしぱしぱする。

眼前には本の山。

泣いているところを、人に見られたくなかったから。

一冊を手にとって、パラパラとめくる。

はたと手が止まったページの、視線が初めて像を結んだ場所。

「To be, or not to be: that is the question.」

意味は頭には、入ってこなかった。



「いたっ!ひな先輩!!」

一度聞いたら忘れられない、元気が溢れる声。

ただ、場所を問わず溢れてしまう。

「わわっ、翠ちゃん、図書室だからここ、静かに」

翠ちゃんはそのまま近寄ってくる。

目は赤くないかな、って、ふと気になった。

さっきまでもう何もかもどうでもよく思えていたハズなのに。

「いたっ、ひな先輩」

ボリュームを落として、律儀にもう一回言ってくれる。

「ふふっ」

「ひな先輩、笑い事じゃないんです!」

「ごめんなさい、でもおかしくって」

「それはいいですけど、でも、聞いてください。大変なんです」

「うん、聞くよ。ごめんね」

「それが、その大変なことに」

「たいへん」

「桜井とリカちんがたいへん大変なことになってるんです!」

「ううん?」

「あのですよ、ひな先輩、落ち着いて聞いてくださいね、落ち着いてですよっ」

「翠ちゃん、声落として」

「落ち着いて、心をザルのようにして聞いてください」

「聞いた端から零れちゃうよ」

「いいんです、純粋なあたし達の心では受け止め切れませんから」

「うけとめるの?」

「えっと、その……なにから話したらいいか、でも言います、言うんです」

「うん……」

「その、桜井とリカちんが」

ごくり、と唾を飲む。

目の前からも同じ音。

「桜井とリカちんがラブホテルに」

「…………」

「…………」

「っララ、ら、ラブホテルッ!!?」

がたっ、っと席を立つ。

椅子がどこか遠くへと旅立っていく。

大人のキスはまだ早いよ……なんて考えていた、これまでの思考も。

「え?ホテルだよね、ラブの。ラブホテル?」

「ラブホテルなんです」

「ソウくんと……」

「リカちんが」

二人とも、声が上擦っている。

「そこっ、伊東さん!宮沢さんっ!」

「はいいっ」

わたしと翠ちゃん、二人の声がシンクロした。

「図書室ではお静かにお願いします!」


暗転