エロゲー 夏ノ雨 ひなこss『モブシーン』

夏ノ雨 ひなこss『モブシーン』
説明
「うふふじゃねーよ」っていうセリフが某ゲームに出てくるんです。
それがすごく好きなんです。
それだけです。



俺の名は英太朗。倍川原英太朗。仲のいい奴らはエイちゃんと呼ぶ。
だがまあ、俺のことをそう呼ぶ奴はそれほど多くない。大抵は倍川原くんと声をかけられる。
いや、よく考えたら声をかけられることもそんなになかった。まあそれはいい。
教室の、俺の席の周りだけやたら空間が余っている。まあそれもいい。解放的な気分になるしな!
俺は体がデカイから、クラスのやつらめ気を遣ってやがるのだ。
知っているか。身体がデカイ奴は毎日をデカイデカイと言われて暮らす。時に口から、時に視線で奴ばらが俺に向ける言葉はいつも同じだ。デカイ。
そう言われたらなるほど、自分はデカイのかと思う。
人の目を借りることはできないからな。俺に言わせりゃ、お前らが小さいだけだ。
大抵のものは普通の奴らに合わせて作ってある。おかげで不都合することも多い。
電車の吊革は顎にまとわりついて鬱陶しいし、街を歩けば看板に当たる。
なんだってコンビニの棚はあんな下まで陳列してるんだ!上にスペース空いてるだろうが。頭湧いてやがる。Fxxk!
日々こんな不条理に見舞われてりゃあ、大抵のことには動じなくなる。
自然、大らかな心ってもんが身についた。
うどの大木?大男総身に知恵が回りかね?全く、僻み根性全開じゃないか。
それでも俺は怒ったりしない。僻むことしか能のないBullshitども。憐れなりかし。
つまりだ、身体のデカイ奴は人間の器もデカイってこと。
普通の奴らにくらべてな。

かく任侠の道を往く俺は、小さなことは気にしない。
小さいってことは取るに足らない、馬鹿馬鹿しいってことだ。そうだろう?
そうだ、もうひとつこの世の理不尽の例を挙げておこう。
一年前、家の浴槽に身体が入りきらなくなった。いつだって半身浴。寒いんだよコノヤロウ。
だからまあ、俺は結論した。風呂なんて重要じゃないということだ。
最近、俺の席の周りだけやたら空間が余っている。



クラスの奴らはどうも、俺のことが気に入らないらしい。
まあ気持ちは分からないでもない。俺の側にいると自ずから、己が心性の卑小さに気付かされてしまうのだ。
Haters Gonna Hate、小さなことは気にしない。
時に……そう、幸せな学園ドラマなんかを見た翌日など、胸がぎゅっと締め付けられたようになる。
昼休みに机をつけてお弁当。あれ、ブラウン管の中だけでの出来事じゃあ、なかったんだよな。
俺の席は陸の孤島だ。セントヘレナだ。
だがそんなこと、学食で出来たてのメシを食う俺には、関係のない話なのだ。
胸の裡にぽっと生まれた、”学園生活”というものへの憧れ。
俺にとってこれは取るに足りないことではあるのだが、なに、くだらないからといって全て切って捨てるような真似はしない。
あらゆるものから学ぶことができる。俺はそれを知っている。
完成された人間にも弱みというものは存在するし、戦士には束の間の休息が必要だ。
そういうことになっている。
学園で、俺は心のオアシスを見つけていた。
「…………」
1-A、伊東ひなこ。
一年前、俺達は運命の出会いを果たした。

今から丁度一年前、俺はこの学園に入学した。
入学して……数週間経った頃だろうか。数学の時間、退屈した俺はこれまでの学園生活を思い返していた。
どういうわけか、前の席の女は俺にプリントを回すとき下敷きに乗せて差し出した。
気さくに話しかけてやっても、クラスメイトどもはうんともすんとも言いやしなかった。
ちょっとでも身体が触れようものなら大騒ぎだ。
まったくシャイな奴らだ。がはは!
一事が万事この調子だった。この学園には、どうやら内気な奴らばかりが集まったらしい。
まあ、恥ずかしがるのも無理はない。俺は鷹揚に受け入れていたものだ。
だが、それも長い間続くとなると話が変わってくる。
さすがの俺も辟易していた。
寂しくなんかない、誤解してもらったら困るのだが、なんだかそのちょっと……傷つくだろう?
期待が裏切られたら、誰だって寂しくなったり傷ついたりするものだ。
コミュニュケーションってやつは社会生活の基盤じゃないのか。
俺は一般生徒との触れあいを楽しみにしていたのだ。
それから、ちょっとだけハイスクールラブ的なものも期待していた。こう、その時、二人の愛の双気筒エンジンは回りだしたのだ……みたいな。
半クラでホイールスピン一歩手前のトルクをかけてやって、グリップした瞬間クラッチインのベタ踏みで、そうだ、
「ブル、ブロロロローン!」
…………。
いかん、注目を集めてしまった。ふはは!
俺は咳払いをして席に座り直した。
教師がなんだね君はと不機嫌そうに問いかけてくるものだから、俺はすいませんでしたと言ってやった。
People=Shit、学校じゃあこんな自明の恒等式も教えやしない。
俺は教卓に戻る数学教師の後ろ姿に、シニカルなジョークを飛ばしてやった。
そんな、いつも通りの授業が展開されていた午後のことだった。
俺の肩を、誰かがとんとんと叩いてきた。
振り向くと、それはクラスメイトの女だった。璧のようになめらかな白い肌に、俺の目は忽ち吸い寄せられた。
頸部は驚くほど細く、ほんのりと紅く上行大動脈が透けて見えた。うなじよりわずかに覗く産毛はミニウサギのアンダーコートより柔かそうで、それをふんわりとカーブした栗色の髪が覆い隠していた。ゆったりと踊る毛先は、空気を撫ぜているようだった。そしてなにより、前髪の間で揺れる澄んだ瞳。少し垂れ気味のそれと長い睫毛が驚くべき調和を果たして――
「倍川原くん。消しゴム落としたよっ」
ひなこさんは俺の目を見ながら、そう言って微笑んだのだった。

その日を境に、俺の学園生活は一変した。
俺はクラスについて認識を新たにしたのだ。
このクラスにはどうやら俺と、ひなこさんと、それ以外がいるということだ。今までの自らの不明に恥じ入る思いだった。これについては全く、ひなこさんに申し訳が立たない。
ともあれ、俺は退屈な学園に心のオアシスを見つけたのである。
来る日も、来る日も俺はひなこさんを見つめていた。
ひなこさんは日々を笑い、憂い、何もないところで躓き、過ごしていた。俺はスパッツに憎しみを覚えた。
昼休み、友人と談笑するひなこさんをみるのは俺の至上の楽しみであった。
一学期の内は、それに頻繁に邪魔が入ったものだ。
軟弱な顔をした男が現れては、ひなこさんに紙切れを渡したり、拝み倒して廊下に引っ張って行ったりした。
知っている。求愛行動だ。俺の怒りはたちまち臨界点を突破した。
廊下の隅であれ、体育館裏であれ、俺はひなこさんを守るため静かに後を尾けていった。
たまに同じ目的であろうひなこさんの友人達とバッティングしたが、俺は断じて絶好のポジションを譲らなかった。
俺の見守る中、ひなこさんはあらゆる軟派野郎に、ごめんなさいを口にした。
俺はタリホーと快哉を叫び、逃げるように去っていく野郎の後ろ姿に言葉のナイフを刺した。ザマアミロ。
三学期にもなると、教室には平穏が訪れていた。
クラスの男子を中心に『見守る会』が結成された為だ。
どうやら、会員同士牽制し合った結果、この平穏が生まれているらしかった。
一方、他クラスの生徒が『想う会』を結成したため、教室の外では小競り合いが絶えなかった。
両者の間で協議の場がもたれたが、未だ後部ドアの使用権に関する共同宣言は締結に到っていない。
どちらにせよ、三学期は俺とひなこさんの蜜月時代であった。
俺は教室の席にどっかりと腰を落ち着けて、ひなこさんを見ていることが出来た。
相変わらず、ひなこさんは表情豊かに毎日を過ごしていた。
俺の会員番号は8番と20番だった。

ついおとついに春休みが明けた。学年も上がった。
2-A、伊東ひなこ。
再び、俺とひなこさんは同じクラスになった。当然の結果であろう。
ともあれ俺は昨日、数週間ぶりにぐっすりと眠ることができたのだった。
俺の話は、ここから始まる。



何かがおかしい。
俺の中で本能が告げていた。
何かがおかしいのである。

おとつい、始業式があった。
俺は寝不足の眼を擦りながら登校し、玄関に張り出されたクラス表にひなこさんの名前を探した。
2-Aに伊東の二字を見つけ、さらに倍川原の三字も同じ欄にある事を確認して、俺はほっと息をついた。
周りではきゃあきゃあと制服姿の女子学生が騒いでいた。
きゃー久しぶり、と耳にキンキン来る声が届いて、俺は事件の初報を聞いたベテラン刑事のように顔をしかめた。
いつもなら一喝してやるところだ。頭に響く。
…………。
……だが、もしかするとこれは彼女らなりの命の燃やし方なのかもしれない。そう思った。
俺は黙って教室に足を向けた。
教室のドアをくぐると、ひなこさんは既に教室にやって来ていた。いや、舞い降りていた、と言ったほうが正しいに違いない。
一冬を越えて、ひなこさんの透き通るような肌の白さには一段と磨きがかかっていた。
俺はそれがこの世のものである奇蹟について、キリストとアッラー釈迦牟尼に感謝を捧げた。
まだシベリア寒気団は抜けきらず、教室のイスのいくつかには学生が羽織って来たであろうコートが掛けられていた。
黒板で自分の席を確かめ、俺もそれに倣った。
腰を下ろすと一度大きく息を吐き、伸びをして、両手で顔をくしゃくしゃと擦った。
そして、年度を跨いで第一回目となるひなこさんとの対話に入った。
四席ほどを隔てた向こうのひなこさんは、クラスメイトと膝を交えて話しこんでいた。
どうやら比較的仲のよい友人らしかった。
俺にはどうも見覚えがなかったが、どうでもいいやと思った。モブキャラに顔はない。
惜しげもなく大輪の笑顔を咲かせるひなこさんに、俺はよかったなあと形而上の相槌を打った。
おとついはそうして過ぎていった。
俺はその晩、興奮の余りなかなか寝付くことが出来なかった。
だからかもしれない。
翌日、ひなこさんの挙措がいつもとは異なることを感じながら、俺はそれを重大視していなかった。
ひなこさんは現在一介の学生に身をやつしている訳であるが、それを心から楽しんでもいる。
新学期で少し気持ちが浮ついてしまうのも仕方のないことであろう。それが、普通の学生というものだ。
その日一日のうちに、ひなこさんは六度ほど転倒し、教卓を二度ひっくり返し、数百枚のプリントを床にぶちまけた。
明らかに上の空であった。友人との会話は全く成立していなかった。
それだけではない。あろうことか、ひなこさんの顔からは”ぽわぽわ”が消えていた。
そこにあるのは混沌であった。
例えば二限の休み時間、ひなこさんは自分の席に座り、物憂げな横顔を晒していた。
かと思うと、急に焦燥を浮かべ、ごそごそと鞄を掻き回して鏡を取り出し、前髪を整え始めた。
ぼんやり中空を眺めていた次の瞬間に何事かはっと息を呑み、わたわたと席を立っては座り、また脈絡なく”デレデレ”という顔をした。
ひなこ百面相であった。
強いて言うならば、緊張だろうか。表情筋の動的平衡の中から、俺はそれを読み取った。
俺以外の誰にも、ひなこさんの機微は分からないに違いない。
とにかく、ひなこさんには常ならぬ事態であった。
何かがおかしい。
それを見て俺はそう思った。
だが、ひなこさんとてサイボーグではない。
人間なら、女性なら、そう……例えば月のモノなど、やんごとなき事情があるのかもしれない。
明日には、いつものひなこさんに戻っているかもしれない。今暫くは様子を見るべきだ。
俺はそれでいいと思った。思っていた。
だが――今日。
今、この時をもって。そんな甘ったれた考えに俺は別れを告げた。
それは全く、下らぬDope Showであった。
ひなこさんは間違いなく、何処かがおかしかったのである。
これまで生きてきた中で育んだ本能を、俺は信用するべきであった。
ひなこさんと俺の、二人積み重ねてきた時間を軽んじるべきではなかった。
何かがおかしいと、俺の第六感は危険を察知していたはずなのだ。

今日、講堂で、新一年生の入学式が執り行われた。
つい十分ほど前、散会となったばかりだ。その場で本日解散の旨、アナウンスが告げた。
それを聞くとひなこさんは席を立ち上がり、するりと通路に抜け、一直線に駆けて行った。
息を切らせて、頬を赤らめて――

――とある、一年生男子の元に駆け寄ったのである。

「……ソウくん」「ソウくんソウくん」「ふふっ、ソウくんったら」
「カッコイイよ、似合ってるよ。制服」「ソウくん」
「校門で写真、撮っちゃダメ?」「今日ご飯作りに行っていい?」「ソウくんかわいい」
「違うよっ、そんなんじゃないのっ」「ソウくんのいじわる」
「教室見に行きたいな」「お友達できた?」「お腹空いてない?」
「あっ、ソウくん襟がよれてる」「動かないでね」「ダメなの……?」
「ソウくんどこ行くの?」「ううん、待ってる」「ソウくん」

ソウくん。

………………。

…………。

……。



おいソウくん。誰だお前は。弟か。弟に違いない。
翌日。
俺の祈りは高天には届かなかった。
昨日のひなこさんの行動は俺以外の眼にも異常に映ったものらしい。
朝、俺が教室に入るとひなこさんは数人の女子に囲まれ質問攻めに遭っていた。
曰く、「誰なの?弟?」「ねえカレシなの?」「どんな人?何組だっけ」「見逃したー!」「名前は?どんな関係?」
ひなこさんは困惑しているようだった。
助けに入るべきかもしれない。
俺は机に突っ伏し、聞き耳を立てることにした。
ぼそぼそと漏れ聞こえた話を総合するに、彼氏ではない。弟でもないらしい。
幼馴染?何だそれは。
田舎だと。お隣さんだと。何だそれは。
休み時間にひなこさんの笑顔を眺めるのは、俺の至福の時間であった。
それが頬を紅く染めた、どこか恥ずかしがっているような、そして必死で押し殺してなお漏れてしまったような微笑であれば尚更だ。
年に数回と見れるものではない。ネガが焼き切れるまでシャッターを押し続けてやりたい。
このために学校に来ているようなものであった。
しかし。
どうだろう。
少しだけ、ひなこさんに苛立たしさを感じた。

昼休みを告げるチャイムが鳴ると、ひなこさんはすっくと席から立ち上がった。
そして、そのまま教室の外へ駆けていく。跳ねるように。
その後ろ姿は、昨日のひなこさんとかぶって見えた。
俺は今日これまでの間に負った精神的裂傷から未だ回復してはいなかったが、慌ててひなこさんを追った。
負けの込んだギャンブラーのような気分だった。
思いの外、ひなこさんの足は速い。廊下に三々五々散らばった生徒を掻き分け、ちらちらと隠れては現れるスカートの裾を追った。
ひなこさんは階段を一段飛ばしに駆け登っていく。
For Fucks Sake!俺はスパッツにひとしきりの憎しみをぶつけた。
一階上がって四階には、一年生の教室が固まっている。
廊下にはやはり生徒が溢れていたが、さっきまで居た二年廊下に比べると随分と静かであった。
ひなこさんは新入生の群れをすいすいと避けて進んでいく。
俺は胸にぶつかる一年生を怒鳴りつけながらそれを追った。
昨年よりの馴染みの場所、1-Aの教室の前でひなこさんは立ち止まった。
ひなこさんはつい一月前『想う会』がしていたのと全く同じ姿勢で、開け放たれた後部ドアから、そおっと教室内を覗きこむ。
じりじりと上体を曲げて視界を拡げては、すっと柱の影に隠れる。またじりじりと柱から頭を出す。
ダルマさんが転んだ、のようであった。
一分くらいそうして居ただろうか。ひなこさんはそれから、ふっと教室の中に消えた。
俺は慌てて後部ドアにかじりつく。
…………。
ひなこさんに倣ってみたものの別に俺に隠れる謂われはなかった。
俺は腕を前に組むと、見慣れた教室の中へ入っていった。

「……ソウくん」
「…………」
「ソウくん、起きて。ソウくん」
「……んん……」
「つんつん」
「……んん」
「ふふっ、ソウくん眠いんだ」
「…………」
「あっ、もう……よだれなんて垂らしちゃって。……ちょっとだけ、お顔上げて?ふふ、しょうがないんだから……」
「んんんん!!」
「わわっ!」
「……んあ、んだよ。ふああぁ……あ?……ひな姉?」
「ソウくん……びっくりした」
「あれ……ひな姉、なにしてんの?」
「ごめんね、起こしちゃったね」
「くああ……それはいいけど」
「あっ、ちょっとそのまま。動かないでね」
「ん!何すんだよ」
「お口、よだれ垂れちゃってるから拭こうと思って」
「自分でするっての」
「あ、もう……袖で拭いたらダメだよ。ハンカチあげるから」
「だからいいって。そういうの見られたらハズカシイだろ」
「そうかな?」
「俺はもうガキじゃないの。自分で自分のことはできんの」
「でも今お口、袖で拭いたよ?」
「うるさい」
「えへへ」
「ふあああ……」
「……ソウくん眠たそう」
「昨日深夜にサッカー中継やっててさぁ……こら、ネクタイも自分でやる。だから、そういうのもういいから」
「そういうの?」
「だから、口拭いたりとかネクタイ直したりとか。いい加減自分で出来るって」
「でもソウくん、ネクタイよれよれだよ?」
「今はいいんだ。起きたばっかなんだから。ひな姉だっていつまでもそういうの、ハズカシイだろ?」
「わたしは……そうかな?」
「ああ、じゃあ俺がイヤだから」
「っ……えっ……?ソウくん、その、嫌、だった……の……?」
「うわ、違う違う。嫌じゃない。嫌じゃないから。なんていうか、やっぱハズカシんだよ。だからそういうの、自分でやるから」
「嫌じゃないの、ほんと?」
「されるのが嫌なんじゃなくて、見られるのが嫌なんだよ……」
「…………」
「ひな姉、分かった?」
「ソウくんがそう言うなら……」
「なんでむくれるんだよ」
「……むくれてないもん。元々こういう顔なの」
「変な顔……いや、冗談。冗談だから」
「ソウくん、怒るよ」
「またふくれた。あはは、河豚提灯みたいになるのな」
「…………」
「……で、ひな姉、なんでいんの?」
「あ!」
「声でけえよ!」
「うふふ、ソウくん偉そう」
「うふふじゃねーって」
「ふふ、ごめんなさい。あのね、これ。お弁当持ってきたの。よかったら、食べてくれる?」
「お弁当」
「うん。あのね、知ってると思うけどウチの学校は給食ないから学食に行くか、お弁当なの。それでね、もしよかったら毎日お弁当つく」
「いいや」
「うん?」
「朝コンビニでパン買ってきたから」
「…………そうなの?」
「うん」
「ソウくん、今日はパンの気分なんだ」
「おお。それにさっき言ったろ。ひな姉のそういうのが、ハズカシイんだよ」
「…………」
「教室来るのもさあ、授業参観じゃねーんだから」
「そっか……恥ずかしいんだ……」
「用事あるならウチで言えばいいんだしさあ……うん?」
「……そうだよね、ごめんねっ……」
「おい……ひな姉?」
「……っつ!!」

ガタンという大きな音。
ひなこさんは机の上の弁当を掴むと、一発の弾丸のように後部ドアを抜け、教室を走り去った。
俺の横を通って。
俺は少しばかり迷ったが、ひなこさんの後を追うことにした。
ガキを殴りつけるのは後回しだ。
今は、ひなこさんが心配だった。

「…………」

廊下にひなこさんの姿はない。完全に見失ってしまった。
年若の体力に飽かせて校舎を探し回るか。
それも時には必要なことだろう。
だが、ひとまず2-Aの教室に戻ることにした。
そうするのがいい、そんな気がした。負けの込んだギャンブラーの直感だった。
果たして、ひなこさんは教室にいた。
教室の窓際、前から三番目の席。浅めに腰掛け窓を開けて、外を見ているようだった。
こちらを向いていないから、表情が伺えない。
いくら俺でも、顔を向けてくれなければ、ひなこさんの気持ちを知ることは不可能であった。
全く不甲斐無いことだ。
俺はゆっくりとひなこさんの元へ近づいて行った。
ひなこさんはその間、微動だにしなかった。
俺のすぐそばにひなこさんがいた。
声をかけようとした。
だが、なんと声をかければよいのか、分からなかった。
俺にはよく分からないが、先のやりとりは、ひなこさんにとって重要な意味を持っていたようだった。
俺は、初めてひなこさんに声をかけてもらった時のことを思い出していた。
ひなこさんは俺のために落ちた消しゴムを拾いあげてくれた。
あの時、俺はクラスメイトとのコミュニュケーション不全に悩まされていた。
いや、悩んでいたわけじゃあないが、どうにかならないものだろうかと思案していた。
ドラマの影響だろうか。
そういうものにちょっと、手を伸ばしてみたくなったのだ。
欲しいものに手を伸ばしたら、払い除けられた。
少し寂しかった。
Kinda Shit!違った。寂しくなんかないっつーの。
思い出した。
ひなこさんにかけるべき言葉が見つかったような気がした。
俺は、ゆっくりと口を開き――

その時、ガタッと音を立てて、ひなこさんの前の席に男が座った。
誰だか知らんが、その輩は机の上に置いてあった弁当の大きい方を引き寄せると、乱暴に包みをこじ開け始めた。
ひなこさんはびっくりして、何も喋れないでいるようだった。
引き裂くようにして弁当風呂敷を広げきると、輩は弁当箱を開き、箸を掴み、いただきますも言わずに食べ始めた。
数刻と待たずに俺のところまで、混ざり合って、少しだけくどい弁当の匂いが到達した。
ひなこさんの目の前で、その輩は弁当を食い散らかした。
ひなこさんはどうしてか、黙ってそれを見ていた。だから、俺もそれに従った。
野郎はひなこさんの弁当を一粒残らず食い散らかして、やはり乱暴に箸を置いた。
それから、ひなこさんと目が合ったものらしい。
ふんと鼻を鳴らして脇に視線を逸らし、何事かもごもごと呟いた。
俺には聞き取れなかった。
けれど、ひなこさんには届いたようだった。
一目見て、俺にはそれが分かった。
俺ほどひなこさんの機微に明るい奴はいないのだ。
だが、今ばかりは誰にだって分かるに違いなかった。どんな鈍感野郎であっても見れば分かる。
一足早く咲いたこの、向日葵の笑顔を。

糞みたいな沈黙が続いていた。
野郎は拗ねたような表情で窓の外を眺めていた。
ひなこさんはニコニコとその横顔を見つめていた。
こう、見ているだけで全身くすぐったくなるような。
だから、俺は口を開いた。
大きく息を吸って、腹から声を出してやった。
「はーるのー!うらーあらあのー!すーみーだーがーわー!!」
教室中の視線が俺に集まるのを感じた。ぐはは!
それはそうと、お腹が空いた。
学食に行って、何か温かいものを食べてやろうと思った。


暗転