エロゲー 夏ノ雨 ひなこss『仁義無き戦い掃除変』

夏ノ雨 ひなこss『仁義無き戦い掃除変』
説明:共通ルート。
酷暑に思考が鈍る桜井家の面々



三橋の町に夏が訪れていた。

ミーンミンミン。
ミーン、ジジジ……。
ジジヴヴヴヴ……。
ヴヴ、ヴヴヴ……。
ヴヴヴヴ!ヴヴ!ヴギギgyi――うるさいわね!あっ、ごめんね……ミーンミンミン……。
ミーンミンミン……ヴヴヴヴヴだからうるさい!
ミーンミンミンミン……。

暑さで参るのは人間だけ。
お前は元気だな。なんでわざわざ暑い時期に出てくるんだ。非効率だ。頭湧いてんじゃないのか。
桜井宗介は茹だるような暑気に、少し頭をやられていた。
蝉に八つ当たりをしているのだ。呪詛の念はガラス窓に遮られ、向こうには届かない。

平日の午後、桜井家のリビングはさながら死体安置所の様相を呈していた。
カーペットの上に三つの肢体が川の字を成し転がっている。
エアコンの風が最もよく当たる、その右端に位置しているのが瀬川理香子である。
文庫本の頁が数分に一度めくられていくところを見るに、まだ息はあるらしい。
中央で伸びる小さな身体は桜井朋実だ。
目蓋を固く閉じあんぐり口を開けて「茄子……お茄子……」などとうわ言を漏らしている。
秋茄子は嫁に食わすな、から何か茄子に涼しい秋の響きを覚えているらしい。
しかし残念ながら、茄子は暑い暑い夏の季語である。旬も夏だ。梅雨の水気を吸い上げてお茄子はぷっくり膨らむのである。
「えへへぇ……」朋実の口元がにへら、と歪んだ。
事実を知った時この笑顔は失われるのだろうか。勿論、茄子に罪はない。
その心神喪失も半ばという処にある朋実の顔に、無骨な腕が伸びていた。
だらしなく開いた妹の口を指でそっと閉じてやる。川の字の左端、桜井宗介の仕事である。
行為とは裏腹に、強くすがめられた宗介の双眸にはどこか凶暴な光が宿っていた。
その視線は真っ直ぐ伸び、鋭く窓へ突き刺さる。何かを睨み殺さんとでもいうかのように。調子に乗っている後輩にすれ違いざま放課後校舎裏と告げんかのように。
彼はメンチをきっているのだーーセミに。
宗介の瞳は瞬きをするたびトロンと力を失い、次の瞬きでボスゴリラの輝きを取り戻し、また数秒でチカラ尽きる。この男もやはり、正気を保っているとは言い難かった。
理香子、朋実、宗介。三人とも身体のあらゆる部位の運動が緩慢になっていた。
確かに一度無気力状態に陥れば、そして耳障りな鳴き声に囲まれ続ければそんな気もしてくるものだろう。
ヒト以外のあらゆる生物がいのちを謳歌しているーー夏。
だが実際のところ、暑さで参っているのは人間だけではないのだった。
桜井家の掃除機も、端的に言って参っていた。

ミーンミンミンミン。
ジジジ……ヴヴヴ……ズゴゴゴ!ズゴ!チッ……。理香子ちゃん、ちょっとだけ我慢してね……ズゴゴゴ!
ミーンミンミン。

最近運転中に奇怪な音を響かせるようになったその掃除機を、伊東ひなこが駆っていた。
玄関の掃除が終わってリビングに移ってくるものらしい。

「…………はあ」

宗介は立ち上がると、朋実を持ち上げ夏子の部屋まで抱えていった。
母は不在である。見回すと足の踏み場もない戦場の一角にそこだけ切り取ったような人型のスペースが空いている。家主の寝床だ。
宗介は朋実をその一回り大きい型にはめ込んで寝かせ、リビングを除くとこの家唯一のエアコンのスイッチを強に入れ、部屋を出た。
そして静かに扉を閉め、立ち止まる。そっとダイニングの様子を覗く。ひなこが冷蔵庫の辺りを掃除している。
それを見て宗介は少し逡巡するも結局、居間には戻らないことにした。反対方向、蒸すような熱気の立ちこめる自室に入る。床にのっそりと腰を下ろす。
換気を考え……扉は大きく開け放しておいた。

「ごくり……」

換気を意図し開け放たれたドアからは偶然リビングの様子が筒抜けになっており、そして宗介の全神経はそちらに向いていた。
首を限界まで伸ばしきょろきょろと見回す様は寝起きのプレーリードッグを思わせる。主にその必死さに。
たらり……。宗介の頬に一筋の汗が伝う。
宗介がここよりはまだ涼しいであろうリビングに戻らないのは掃除の邪魔になるからであり、朋実を移動させたのは彼女の表情が限界を訴えていたように思えたからだった。
そして今、向こうの様子を窺っているのは……そう。たまたまである。
結果的にはリビングから逃げ出した格好になる。だがそれは期せずしての所産であり、とった行動はすべて合理的なものであったのだ……。
自分への言い訳が済むと宗介はクッションを拾い上げ、胸の位置でぎゅっと抱きしめ、何か正視してはいけないものを見るような気持ちでまたリビングを覗き込んだ。



桜井家のダイニングはリビングと一体になっている。
そこではひなこが腰を大胆にかがめ、四人掛けのダイニングテーブルに掃除機を潜らせようとしていた。
ひなこの片足が浮き、ふわりとしたプリーツスカートが捲れ上がる。
ひかがみから太腿、股ぐら……残念ながら際どいところで止まらない。ひなこは掃除に熱中しているようだった。
しかし強調された臀部の膨らみも、肉づきのよい太腿の白さも、幼い感じの縞模様も宗介の注意を引くことはなかった。
宗介の瞳にはどこか、アフリカゾウのそれのような達観した倦みが滲んでいた。
一段楽したのかひなこは上体をあげる。
ふうと満足そうな息を吐いて手の甲で額の汗を拭う。
それから、リビングに近い個所に付け替えようというのだろう。冷蔵庫脇のコンセントから掃除機のプラグを引き抜いた。
掃除機を剣のように脇に差し、ひなこはリビングへ向かう。宗介は思う。そこには魔物が棲んでいる。
宗介の部屋から廊下とダイニング、ひなこを隔てたむこうでは理香子が未だ一人だるそうに寝転がっていた。文庫本と顔との距離は一センチあるだろうか。
理香子は床に片肘をついて枕にしている。寝返りをうったのか、みどりの黒髪が周囲にしどけなく広がっている。
薄手のカーペット敷きの上で波打つそれは、さながら昆布のお化けであった。
ひなこはガラガラと掃除機を曳き、昆布の化身に近づいていく。

「ごくり……」

宗介の背中にたらりと一筋の汗が伝う。
コードを追加で引っ張り出すと、ひなこは躊躇うことなく掃除機のスイッチを入れた。瞬間、

うぃーん……うぃーん……。

まずは様子見ということだろうか。
予想外にも静かな立ち上がりをみせた掃除機に、宗介は驚きを隠せない。
デシベル値を測るまでも無く、駆動音は微かにしか宗介の耳に届かなかった。代わりに、ひなこの上機嫌な鼻唄が聞こえる。

ぴーすふぉーざぴーぽー……ふんふふん……。

どういうことだ……。
ここ数日無かった展開に、宗介は固唾を呑んで状況を見守る。
テレビ台の裏、カーテンの脚。嘘のように軽快に掃除は進んでいく。その間、掃除機は静穏を保っていた。
コレは……。いや、油断をしては……。
カーペットの外縁をノズルヘッドがちろりと舐める。
その時、本体に点るオレンジのランプが宗介の目に止まった。
ファジイランプである。掃除機がファジイ運転中であることを示している。
それは、これまでにないことであった。宗介はそのランプが点灯しているところを初めて見たような気がした。
そしてこの静寂、平穏、安寧……もこれまでにないことだ。
原因があって、結果が生まれる。宗介の頭にじんわりと理解が広がっていく。
ファジイ……。これがファジイ運転……。
ひなこ操る掃除機のヘッドがソファの側面を掃くように進んでいく。
穏やかに、しかし大胆に。舞うようなその奔放さは両の手の延長を思わせた。
理香子はその接近にすら気付いていない。そう宗介は期待する。
これがファジイの力か……。
いけるかもしれない……。いや、今日はいける……!
気付けば宗介はぐっと拳を握っていた。楽園は此処にあったのだ。腹の底からじわじわと高揚感が湧き上がってくる。
ソファの上をざっと吸い終わるとひなこに曳かれ、掃除機はとうとうカーペットに上陸した。
掃除機のヘッドが理香子に最大接近する。
OKそのままだ……よーし良い子だ……。
宗介の期待は確信に変わろうとしていた。少なくとも、思わずハリウッド風を吹かせてしまうくらいには高まっていた。
ファジイという新たな仲間を、宗介は諸手を挙げて迎え入れたのだ。
それが間違いの始まりだったのだろう。
宗介はファジイの意味を知らなかった。

ミーンミンミンミン。
ミーンミンミン……ジジジ……。
うぃーん……ズ、ズゴ……。ズゴゴゴヴヴ!ヴヴ!ヴヴヴgy――チッ……。

チッ……。

確かな舌打ちの音を宗介の耳は拾ってしまった。
そっと、横たわる姉の表情を窺ってみる。長くは無いが親しい付き合いだ。宗介はそこに「うるっっさいのよっ!!」の一言を読み取った。
完全に逆切れだった。
ひなこはわざわざ他人の家の掃除をしてくれているのだ。それも自らすすんで。
感謝こそすれ、恨みをぶつけるのは筋違いというものだ。そう宗介は思う。
耳元で工事現場のプレス機に似た爆音を鳴らされたとしても、そしてそれが読書中の出来事だったとしても、それは筋違いというものであった。
掃除機のコードがピシッピシッと頬を叩いてきたとしても、ノズルにちょっと髪を吸われたとしても、生暖かい排気に本の頁をごっそりめくられたとしてもやはり、筋違いというものであった。
どかないのが悪いのである。
理香子とて馬鹿ではない。平常ならば名を捨て実を取っただろう。ちょっと移動すれば良いだけなのだ。
しかし理香子は微動だにしなかった。さらに、ひなこに一瞥をすら寄越さない。まるで、そこには誰も存在しないかのように。
その頑なさは、屋根で一番いい日向を陣取ったボス猫を彷彿とさせた。
彼女は譲れない何かを守っているのかもしれない。鋭敏に感情のはたらきを読み取りつつも、宗介にはそれが何であるのかが分からない。
暑さは人をおかしくする。そしてまた、暑さは色々なものを参らせる。
掃除機が調子を崩して一週間が経過していた。
桜井宗介はわりと参っていた。



伊東ひなこは自他共に認めるキレイ好きである。
潔癖症じみた、結果を求めるキレイ好きというよりは過程を大事にするキレイ好きだった。
空になった洗濯籠や、サイクロン掃除機の中のぐるぐる回るゴミの塊が肥える様子を確認するのがひなこの密かな楽しみだった。
こんなに手軽に達成感を味わえるのだ。さらに生活の役に立つ。
一粒で二度おいしい。家電の中で幸せがぐるぐる回っている。そんな気がして、ひなこの胸はお手軽に躍った。

ところで、桜井家の掃除機は紙パック式である。
ひなこはサイクロン式の方が好きだった。吸引力が落ちない唯一の――そんなことは知らない。ぐるぐる回る方が楽しいのだ。
中身が透けているタイプだったらもう言うことは無い。近くで見るとちょっと気持ち悪いけれど。
そういう具合でかねてからひなこは夏子に買い替えをおねだりする機会を探っていた。
そしてとうとう絶好のタイミングが巡ってきたのだった。
今週に入り掃除機は不快なノイズを発するようになった。おそらくモーター系統の不調だ。実務に支障はないものの、立派な故障である。
掃除にも熱が入ろうというものだった。
出来れば、あらなんだかいつもより部屋がきれいねからの奥さん実はもっと上があるんですよに繋げたかった。
家電量販店のチラシも切り抜いた。来週下見に行こうと思っている。
というわけで普段のひなこにも似ず今ばかりは、譲れないものがあったのである。
いつもなら避けて通るような戦いも今日のひなこは受けてたつだろう。
そう、例えばそれは――
リビングの中央に敷かれるカーペット、そのさらに中央で大の字に寝転がるひとりの女との戦いだった。
態度も占有面積も大きい女――顔は小さいモデル体型――即ち瀬川理香子その人である。
戦いは既に四回戦を迎えており、通算ではひなこがひとつ負け越していた。
今日勝てばまた五分の勝負に戻るのだ。
狙いを定めたライオンのようひなこは間合いを少しずつ詰めながら、理香子の周囲をぐるぐると掃除していた。
何度かコントロールを誤り、抜けない髪の毛を吸ってしまっている。それはもう平謝りした。
しかし掃除機の爆音については謝らないのである。いや、何度か謝った気がする。
それにしても今日のひなこは攻めの姿勢で事に臨んでいた。

「理香子ちゃん、喉渇いてない?」

ひなこは掃除機の運転を切り、まず軽いジャブを放つ。反応は皆無だ。
寝ている……?いや、そんなはずは無い。
ひなこはキッチンに後退すると冷蔵庫からオレンジジュースを取り出す。
大き目のマグカップに氷をたっぷり入れ、その上に勢いよくジュースを注ぎ込んでいく。
パチパチと氷のはじける音はきっと理香子に届いている。そうひなこは確信する。

「よかったら飲んでね」

そう言ってひなこはダイニングテーブルにカップを置いた。
ドンと机を鳴らし、ややぞんざいに。一瞬遅れてからんと氷が涼やかな音をたてる。
テーブルから理香子までの距離はおよそ三メートル。
勿論、取りに来た隙に掃除を済ませる作戦なのだが理香子の反応は返って来なかった。
しかしひなこにめげる様子は無い。これは軽い牽制打である。
次なるプランは既に動き出していた。
ひなこはカップをお盆に載せ理香子の側へ持って行く。キンキンに冷えたその表面にはもう汗が浮いている。
一歩の間合いまで接近すると理香子の手の届く位置にひなこはお盆をそっと下ろした。
理香子の青白い喉がわずかばかり蠕動する。
彼女はきっと起きている。そして喉が渇いている。ひなこは期待にごくりと唾を嚥下した。
蝉の声が桜井家のリビングを充たす。目を閉じようと耳を閉じることまでは叶わない。ジリジリと照りつける太陽を連想せずにはいられぬ、そんな夏の日だ。
そして枕元では冷たいオレンジジュースがクラッシュアイスを溶かしている。
これでもあなたはまだ寝たフリを続けるの。それは自分の首を絞めるだけ。だってコレ、わたしが飲んでしまったっていいんだよ?うふふ……。
ワルひなこの登場である。
辺り一面に広がる理香子の髪を梳き集めながら、ひなこは余裕の笑みを浮かべた。
もうすぐ理香子は上体を起こし、今目覚めた素振りで伸びをした後オレンジジュースを飲むだろう。それはもうごくごくと。
その瞬間に、彼女の寝るスペースは消滅するのだ。ぽっかり空いた理香子の背後に脚を滑り込ませる。それだけでいい。
勝利を確信したひなこの唇がわずかに引き攣る。見る者によってはそれを邪悪な笑みと呼ぶ。
だが別の者にとっては、世話焼きお姉さんとわがまま次女の昼下がりにしか見えなかった。

「ひなちゃん、これ飲まないの?」

それならわたし飲んでい?目を覚ました桜井朋実がそんな顔で膝に擦り寄ってくることまで、予測しておけというのは無理な相談だった。
朋実はひなこの太ももに頬を擦り付けるようにして甘えてくる。そのまま半身の姿勢を取ると、理香子と並んで寝転がった。
今にも起き上がるかに見えた理香子の身体が、異分子の登場にピクリと痙攣する。それを最後に毛ほども動かなくなり再び床と同化した。
昨日一晩練りに練った計画は、一瞬で崩壊したのだ。
それと悟り、ひなこは愕然と身を震わせる。

「……ひなちゃん?」

肩を落としたひなこの顔を、下から朋実が覗き込んできた。
不思議そうな表情をしている。ひなこのキリンのように憂いを帯びた瞳を見つけて、朋実はハッと息を呑んだ。
あと一歩……あと数秒……最新型サイクロン……。目が口ほどにものを言っている。
サイクロン……?そうだよ、グルグルなんだよ……。ふうん、これ飲んで良い?いいよ……。二人の視線が交錯する。
それから朋実は一息でジュースを飲み干し、にっこり微笑んだ。おいしっ。
その無邪気な笑顔には戦争を知らない子供たちの幸福が現れていたと、後にひなこは語る。
そして桜井宗介はと言うと、とっくに飽きて遊びに行っていた。


暗転