エロゲー 夏ノ雨 ひなこss『三頭会談』

夏ノ雨 ひなこss『三頭会談』
説明:共通ルート。
宗介の受難



○桜井家・ダイニング


早朝。カーテンに白い手が伸びる。勢いよく大開きに。まっすぐ差し込む陽光。快晴。
キジバトの鳴き声。電柱の上でさえずるひよどり。
トントンと軽快な包丁の音。
まな板の上、束になったニラが刻まれていく。一定のペースで刃に吸い込まれていく。
小口切りにされたニラ、包丁の腹ですくわれる。そのままフライパンへ。じゅう、と水が弾ける。
卵が二つステンレスのボウルに割り落とされる。軽く身体側へ傾けられるボウル。菜箸が卵白を切るように掻き混ぜる。くまちゃん柄のエプロン。熊は右目をつぶってピースサイン
エプロン姿の女、一つまみ塩を振る。フライパンを返す。ニラには薄茶色の焦げ目がついている。薄く白煙が上がる。思い出したように換気扇のスイッチへ伸びる人差し指。
火が通りしんなりしたニラを溶き卵のボウルに落とす。塩コショウを振り手早くかき混ぜる。
フライパンにボウルの中身を半分ほど落とす。火を弱める。
卵を薄焼きにし、端から巻いていき、奥に寄せる。残りの半分もパンに流し込む。ボウルに張り付いているニラを指でつまみ、ぴっと投げ入れる。
隣のコンロでは味噌汁鍋がコトコト蓋を持ち上げ始める。
…………。
窓越しに朝の気配。慌しく家を出るサラリーマン、集配のバイク、少し高くなった太陽。白い日差しがフローリングに反射する。ダイニングはやや明るさを増している。
コンロの火を落とし理香子、うむ、と頷く。
ドアの開く音。
のしのし誰かの近づいてくる気配。理香子、そわそわと、
「おはよう……」
テーブルには湯気を立てる玉子焼き、味噌汁、伏せられたご飯茶碗、味海苔、ハム。
「そ、宗介、おはよう……!」
宗介、パジャマ姿で現れる。猫背がちにズボンの裾を踏んで歩いてくる。
ダイニングの入り口で立ち止まる宗介。重たげに目蓋を持ち上げる。理香子の方に顔を向けるが、目は合わせない。すぐに来たほうへ引き返していく。
「宗介……」
後姿を追う理香子。
バタン!と扉が強く閉められる。トイレの明かりが灯っている。
「…………」
理香子、頭を垂れ、キッチンへ引き返す。


○通学路


やや肩を落とし歩く理香子。紺色の学生鞄が力なく揺れている。
理香子、何事かぶつぶつ呟く。
近づいてくる、跳ねるような足音。白いセーラー服の背中にぺたん!と押し込まれる掌。
「リカちん、おはよっ!」
翠、理香子の前に回りこむ。
「おはよう!」
「ん……」
「おはよう!」
「聞こえてるわよ……。おはよう……」
理香子、翠を避けて歩き出す。
翠、ガクッと大仰なリアクション。
慌てて理香子の隣に並ぶ。唇に人差し指を当て、
「……月曜日のばかやろー!?」
青空に叫ぶ翠。
理香子、怪訝な顔。
「あれ。違った……?」
「違う」
周囲の注目を集める二人。面倒くさそうに頭を振る理香子。
「行くわよ」
「え、今日月曜日だよ?」
「そうね」
「うーん……。ああん、置いてかないでよっ!」


○通学路・T字路


理香子の肩にそっと手を置く翠。
「分かるよ、その気持ち。あたしも一緒だからね。頑張ろう、前向いて行こう」
翠、ぐっと右拳を握る。
「業みたいなものだからね……。辛かったら言ってね?肩貸す?」
「もうちょっと離れてくれる。暑い」
「大丈夫だよ。あたしには解ってるから。あたしは味方だよ。いつまでもどこまでも、リカちんの味方だからね!」
翠、理香子の背中をさする。
「リカちん重いんだ……。あたしもね、冬になるとちょっとひどくなるんだよ。そうだ。足りなかったら言ってね。こちらに控えてござります」
急に足軽っぽい声で。ぽんぽん、と鞄を叩く翠。
「保健室そのまま行っちゃおうか。一時間目は休んでたらいいよ。先生に言っとくから」
「授業は出るから」
「え?そ、そう……。でも、具合悪いんでしょ?」
「別に、悪くない」
「でもそんなぶすってして……」
「これは元から」
「う……。まあ、それはそうだけど」
「大丈夫だから。ほっておいて」
「放ってなんておけない!」
「せめて静かにしてくれない。頭に響くわ」
「ごめん……」
T字路を曲がる理香子。その後を追って、電柱にぶつかりそうになる翠。
翠、歩きながら鞄のストラップを外す。やや大ぶりの熊の人形はパペットになっている。
右手をヒグマ・パペットに差し込む。それは凶暴な目をしている。
翠、裏声で理香子を呼ぶ(ハロー、理香子)。ぱくぱく、と熊の口を動かしながら、
「たいへんおきき苦しいのですが……リカちん」
ヒグマ、理香子の顔を覗き込む。
「メ、メンス……?」
「違う!!」
「ああん……だから置いてかないでって!」


○通学路・横断歩道


翠と理香子、信号待ちしている。周りにちらほらと三橋学園の生徒。
「ね、リカちん。きょう桜井は?一緒じゃないの?」
「宗介、眠いんだって」
「ええ……。なにそれ」
「二時間目には来るでしょ」
「リカちん……?」
「翠、信号。行くわよ」
大股に歩き出す理香子。通学鞄は翠に奪われている。
「眠いって桜井、起きたの?」
「そう。一度起きて、部屋に引っ込んだ」
「寝かしたら駄目じゃん!ただでさえサボリがちなんだから。出席日数足りなくなっちゃうよ」
「そんなの宗介、……私の勝手でしょう」
遠くをみつめる理香子。
「大丈夫よ、多分」
「たぶん、ってねえ……。大丈夫じゃなかったらどうするの。リカちん、『宗介は甘ったれてる、悔い改めなさい、朝のHRには椅子に座ってなさい、じゃないとご飯作らない!』じゃないの?」
「それは効果なかった」
「うそ……。リカちんのご飯だよ?」
「私が作らなくてもピラフと卵スープで生きてけるみたい」
「皮膚が黄色くなりそうだね、それ……」
「あの人が一々作りに来るのよ」
「あの人?」
「あれよ、あの……水泳部の、ふっくらした、のんきな、とぼけた感じの、牛みたいな、先輩」
「ひな先輩でしょ、分かってるから。なんであの人なんて言うの、ってこと」
「苦手なのよ、あの人。馴れ馴れしいし……あれ、翠には負けるか」
「同じくらいじゃないかな」
「翠の勝ちね」
ビミョウな顔をする翠。
未知のものを口に含んで、噛んで良いやら決心がつきかねているそんな表情。
「じゃあリカちんは諦めちゃったんだ」
「諦めたって、なにをよ」
「桜井のこと。ちゃんと朝から学校に来ないと先生に目つけられちゃうよ、つけられてるよ、現に」
「部活に復帰したら本気出すって言ってる」
「信用できないなぁ。復帰したらしたで、放課後登校とか平気でやりそうだし」
「宗介って案外、人目を気にするわよ」
「……しょうがない。あたしが一肌脱ぎますか!」
翠、話を聞いていない。表情に心配の色は無し。新しいイベントを見つけた、そんな明るさを含んだ声。
両掌をわきわきとさせる翠。
「リカちん!」
と翠。
「明日から朝、家に行ってい?」
「ダメ」
「え――――……!」
「迷惑」
「なんでだよぉ……」
「大丈夫。学校サボってパチンコ打ってるわけでなし。ただの寝坊すけだから。五割くらいでちゃんと登校するし、打率で考えたら立派よ」
「あたしというバットで十割バッターに早変わり」
翠、スイングしたあと鞄の重みに振り回される。
理香子、何かを言いさし、目を泳がせる。
「そこまでしなくても平気よ。家には、来なくていい」
「そうかなぁ……」
「心配しすぎ」
「じゃあリカちん、ちゃんと起こしてよ。桜井のこと」
「分かってるわよ。でも、そう……。なるように、なるようになるから」
あさっての空に喋る理香子。


○三橋学園・教室


翠と理香子、後ろのドアから教室に入る。すると宗介、普通に登校して来ている。椅子に片膝をつき机の中身を引っ張り出そうとしている。
あーーーっ!と宗介を指差し、翠、
「桜井……!?」
「おう……?」
「おはよう……?」
「おう……おはよう」
おはよう!おはよう!おはよう!と宗介の背中を叩く翠。一発ごとに笑顔が咲いていく。
宗介、困惑している。
「桜井、なんでいるの!」
「いや、月曜だろ……。授業あるじゃん」
「桜井……(涙)」


○三橋学園・教室


始業前。
翠、宗介の席に当然の顔で座っている。宗介、机に寄りかかっている。
鞄についたパペット人形で手遊びする翠。宗介に向けヒグマの口をパクパクさせながら、
「リカちんより後に出たんでしょ?」
「うん?」
「今朝だよ」
「朝……。そうなぁ、理香子が出てから飯食って、歯磨いて……」
「うーん。あたしリカちんと一緒に来たんだよ。どっかで抜かした?」
「いや、見てないぞ」
「なんでだろ。はっ、タイムリープ!」
「チャリだし、信号か何かですれ違ったんじゃねーかな」
「ああ……そうかも」
「でもお前ら歩いてたら気付くよなぁ」
「どーいう意味」
「目立つし。理香子は存在感1.5倍、翠はうるささ1.5倍」
「それさっきリカちんにも言われた。うるさいって。ちょっとショック……」
ガブ、と宗介の腕に噛み付くヒグマ。
「うるさいって、ちょっとショック……」
「ほら、いい意味でな」
「ふむ」
「……すまん、思いつかない」
ガブガブ、と宗介の腕に噛み付くヒグマ。
「そろそろ席戻れよ」
「ん……。先生まだ来ないんじゃない」
「別にいいけど」
「あっ……!そうだ、リカちん、鞄……あれ」
翠、理香子に鞄を返そうとするがすでに持っていない。空を切る左手。
いつの間にか理香子も姿を消している。その場でくるくる一回転半する翠。
「あれ、リカちん」
理香子、窓際の席に着いて外を見ている。頬杖に隠れ表情は窺えない。机の横には鞄が掛かっている。
「おーい?」
理香子、無反応。


○三橋学園・教室


チャイム。
ガタガタ、と一斉に席を立つ生徒達。その中で伸びをする翠。席は中列前から二番目。
「なあ翠」
「ねえ翠」
と二方から声。バッティングする宗介と理香子。
翠、伸びをしたまま後ろを振り向く。やや理香子のほうが距離が近い。
「あ……」
理香子、ぷい、とそっぽを向く。きびすを返す。教卓側の扉から教室を出て行く。
「リカちん……?なにそれ」
宗介、片手を上げたまま固まっている。
「桜井も、なにそれ……」


○三橋学園・教室


昼休み。
女子が数人固まってお昼を食べている。翠は弁当。理香子は調理パン。
ぱちり、と箸を置く翠。渋い表情で立ち上がる。後ろのドアから宗介が入ってくる。ズボンで濡れた手を拭いている。
「桜井」
翠、手でくいくいと呼び寄せる。宗介、行きかけて途中でやめる。
「桜井」
翠、手でぐいぐい呼ぶ。
「ちょっと来て」
「なんだよ……」
宗介、バツの悪そうな顔。女子たちの島にしぶしぶ近寄っていく。
ガタ、と引かれる椅子。立ち上がる理香子。
「そうだ、私……」
理香子、もそもそ喋る。背を向け教室を出て行こうとする。
翠、その裾を取る。
「リカちん?」
「呼ばれてるの、職員室、そう、ええと、補習で……」
振り向かず言い切る理香子。かつかつ早足で去っていく。
翠、ぽかんとした表情。
理香子の背中を目で追う。正面で宗介が手を振るも放心したまま。
宗介、翠の弁当箱を覗き込む。エビフライを指でつまむ。翠、表情は固まったまま、宗介の指を箸で挟む。


○三橋学園・廊下


廊下の窓を開け、風に当たっている宗介と翠。
「はあああ?」
宗介、翠の手を掴み、まじまじ見つめてもう一度、
「はあああああ?」
「そこまで言うことないじゃん……」
「だってお前、これで千……、は」
「シャットアップ!」
翠、不満げに宗介を睨む。右手の指を揃え、ぴんと伸ばして宗介に向ける。軽く反った指の先、爪の根元にハート型のポイントネイルが光っている。半透明の桜色でそれほど目立たない感じ。
宗介の方に身を乗り出し、自分でも覗き込む翠。
「うん。そうだよ。ね。ほら。かわいいじゃん……」
「駄目とは言ってない」
「顔が言ってる。馬鹿にしてるな?あー!カリカリしないでよっ」
「結構しっかり付いてんだな」
「剥がれたらお金取るからね」
「お前の自由だけどさ。でもなあ翠、これで1800円って。ガリガリ君28.5本で、これって」
「アリでしょ」
「どうかな……。そもそも目立ってねーしなぁ。言われないと気付かない」
「それはほら、オシャレは見えないところから、って。あとガリガリ君換算やめてくれない」
翠、手を遠ざけたり近づけたりして爪を光らせる。
宗介、冷めた表情。
「いっそゴテッとしたやつ付けたほうがよかった?」
「寿司みたいなやつか?」
「寿司。……ああ、分かるけど、その喩えはどうかなぁ……」
「あれはナシ」
「あたしもあれはナシなんだよ。だからね、……んん?」
懐から携帯を取り出す翠。
軽く操作。そのまま画面に釘付けとなる。
「うーん……」
窓枠を掴み外に身を乗り出す宗介。校庭。トラックをスプリントするジャージ姿の女子。大きなストライド、美しいフォーム。
ジャージを脱ぎ捨てると下に真っ白の体操服が現れる。巨乳。
走る。揺れる。止まる。揺れる。
宗介、溜息を吐く。
「ねえ桜井」
「……なんだ。終わったか」
「え、何その哀れむような目」
「別に」
「これ、リカちんから。んっ」
携帯電話を突きつける翠。
表示。
『宗介私のこと何か言ってる?』
「だそうですが……?」
「理香子から」
「そう。『宗介私のこと何か言ってる?』……なにこれ」
「俺が、理香子を?はあ……。ああ……。いや。……なにそれ」
「あたしが訊きたいんだけど」
「さあ」
「……薔薇の様に美しくも気高い君?」


○三橋学園・教室


授業中。
数学教師が熱弁している(複素平面の複素軸の正負に本質的違いは無い)。
居眠りする宗介。
翠、ピクリと跳ねる。制服のポケットから携帯を取り出す。机の陰で携帯を開く。
『メール着信 From:リカちん 無題』
左後ろを振り返る翠。理香子は窓の外を眺めている。肘の下に教科書が閉じたまま敷かれている。
翠、メールを開く。
『放課後校舎裏。 リカ』
携帯を二度見する翠。
左後ろを振り返る。理香子は窓の外を眺めている。


○三橋学園・昇降口


理香子が早足に歩いてくる。それをばたばた追いかける翠。
下駄箱で追いつき息を切らせながら、
「リ、リカちん……?」
理香子、靴を履き替えている。下駄箱に手をつき、片足立ちで靴のかかとを引っぱり上げる。
翠、ねえ!と理香子の肩を揺する。バランスを崩す理香子。ひやぁ、と間抜けな悲鳴。
「あ……ごめん」
「何するのよ」
「ごめん、つい……。ねえっ、さっきの。なんなの、校舎裏って」
上履きを揃えて下駄箱にいれる理香子。
「ちょっとぉ」
「……話があるの。付いてきて」
「ここでいいじゃん。ていうか、教室でよかったじゃん」
「人が居るでしょう」
「ひと……前では出来ない話……?あたしに?」
「そうね」
「おお……」
翠、嬉しそう。
「校舎裏でいいの?」
「そう。ほら、早く履きかえて」


○三橋学園・校舎裏


連れ立って歩く理香子と翠。職員用駐車場を通り過ぎ、見下ろすように立ったアカマツのもとで立ち止まる。
理香子、周囲を気にする。初め校舎を背にしているが、何かに気付いたように振り返り数歩後ずさる。
再び周囲を気にする理香子。とりあえずそれに倣ってみる翠。
「翠。メール、何で返さなかったの」
「返したじゃん。『生意気なのよっ??』」
「そっちじゃなくて。昼休みのほう」
「昼休み。ああ……。あれは、だって意味、解らないし」
「宗介何も言ってなかった?私のこと」
「……ううん。特には」
そう……と理香子、腕を組み考えこむ。ぶつぶつ呟きが漏れる。
だから、もしかしたら、事故、隠匿、責任問題、ならば、偶然、不可避、建設的、逆に、ううん……。
翠、大人しく待っている。
理香子急に頭を上げて、
「本当に何も言ってなかった?」
「うん」
「おかしいわね……。今日の宗介、変よね。押し黙ったり、落ち着きが無くて」
「へっ?」
変なのはお前だ、という顔をする翠。
「ううん……」
「変よねっ?」
翠、かくかくした動きで頷く。
「桜井の話なの?」
「……それは、まぁ……」
理香子、煮え切らない返事。
下唇を噛む。ぎゅっと目を閉じ目蓋を揉む。
「そうね……」
理香子、両眼をくわっ!と開く。一転、決戦に臨む戦士の表情。
「翠って確か弟、いたわね?」


○回想・桜井家・リビング


通り過ぎる理香子。


○回想・桜井家・廊下


通り過ぎる理香子。


○回想・桜井家・宗介の部屋


ドアノブに手をかける理香子。ばん、と扉を開け放つ。
「宗介!いい加減、ご飯冷めちゃうわよ!」
理香子、そのまま部屋に踏み入る。
「ねぇ宗介!一体、誰のために……」
理香子、フリーズ。
宗介、ベッドに腰掛けている。
ズボン、トランクスは引き下ろされ足にかかっている。左手に数枚のティッシュ。膝の上に肉色の本。大きく皺の寄った敷布団。
宗介の右手、ゆっくり前後運動を止める。
ぎぎぎ、と顔を上げる宗介。
フリーズ。
…………。
バタン。部屋から飛び出る理香子。全力で扉を閉める。両腕で勢いよく閉め、さらに肩で体当たりして閉める。
そのまま扉に寄りかかる。
たらり、と頬を伝う汗。ぎょろぎょろ動く眼。荒れてゆく息づかい。上気する頬。
* * *
宗介の股間のアップ。
* * *
すとんと腰が抜ける理香子。
頭がぐるぐるする理香子。


○三橋学園・校舎裏(回想戻り)


「ぴくぴく、動いてたわ……」
理香子、顔が紅い。
「い、生き物みたいに。宗介それをぎゅって握って、蛇退治かなにかしてるみたいだった」
「いいから、リカちん、詳しいところはいいから!」
翠、顔が紅い。
アカマツの周りをふらふらする理香子。
「真ん中に一つ目みたいな切れ目があって、そこだけ真っ赤で、周りはこげ茶色で……」
「い、いいから」
「爆発しそうなくらい膨らんで、そこらじゅう赤とか青の血管浮いてて、それが、握った手にせき止められてボコッて……その……」
理香子、へなへな座り込む。
「血管が、ボコッって……膨らんでたの」
理香子、頭を抱える。
「どうしよう」


○三橋学園・校門


翠と理香子の背中。互いに支えあうようにしてふらふら歩いている。下校する生徒たちが追い越していく。
「翠〜!!」
と声。
びくっと飛び上がる二人。
宗介と一志が校舎の窓から手を振っている。
「翠〜!ちょっとその辺で、待っててくれ〜!」
頭が引っ込む。ガラガラ、と窓が閉まる。
ダッシュで逃げる二人。


○空・沈む夕日


○桜井家・リビング


ソファに座っている翠と理香子。身体をぴったり寄せ合っている。
「そうね……。問題を先延ばしにするのが、一番の失敗よね……」
理香子、マグカップを引き寄せ紅茶をすする。そのまま湯気を顔に当てている。
翠、席を立とうとするが手で制される。
「問題を先延ばしにするのが、一番の失敗よね……」
「リカちん、あたし用事が」
「逃げるつもり?」
「ないです……」
翠、音をたてて紅茶をすする。
「熱っ!」
口をすぼめる翠。それを横目に、紅茶をすする理香子。
翠、人差し指で唇を拭う。カップのへりに口をつけ、ふうふう吹いて冷ます。
「はああぁ……」
理香子、長い長い溜息。
翠、ちろちろ舌を伸ばし紅茶を舐めては、熱っ!と顔をしかめる。
カップの中身を見つめている理香子。
「はあ……」
「はふう……」
レースカーテン越しに藍色の空。『遠き山に日は落ちて』が遠くで鳴り始める。
「参考までにおききしますが……」
と翠。
「なにでしてたの?」
「……なに、とは」
「桜井は」
「だからなにとは」
「それは、あれだよ、そっ……、そっ……」
翠、うつむいたまま言葉を搾り出す。
「お、おかず的な……」
「おかず……、そう」
ばたり、とソファに背を預ける理香子。ぐっと沈み込み、上体が跳ね返ってくる。
「それって今関係ある?」
「あると思うけど……」
「私、あまり思い出したくないのよ、あの、あああ……」
理香子、天を仰ぐ。
ティーポットの蓋を取り、おもむろに鼻を突っ込む。テアニン的なものを吸引している。
カポッ、とポットの蓋を戻す理香子。翠、何も見なかった顔。
「……ねえ翠、宗介ってがさつでしょう」
「普通くらいじゃない?」
「がさつだから大体部屋のドアは半開きなんだけどたまにしっかり閉まってる時があるのよ。わざわざ閉めるってことは入ってきて欲しくないってことよね。つまり中で私に見られたくないようなことをしているわけよね。そんなの『もしかして今……』とか思っちゃうじゃない。映画のベッドシーンってまじまじ見るのもどうかなぁって感じになるでしょう。宗介のほうに目をやるじゃない。そしたら急に立ち上がってトイレに入ったの。しかもなかなか出てこないの。もうラブシーン終わってるのに。さっきまであんなに夢中で見てたのに。そんなの『もしかして今……』って思っちゃうじゃない。昨日宗介三十分経ってもお風呂から出てこなかったの。いつもお風呂なんてものの五分であがって来るのよ?洗濯機回すついでに近寄ってみても全然水音が聞こえないの。起きてる?って訊いたらドア越しに返事はあるんだけど出て来る気配はないわけ。それでまだかなって待ってたら思わざるを得ないじゃない。『もしかして今……』って。勝手に考えちゃうのよ。青筋浮かべたモノが像を結ぶの。静脈出てるの。砲丸投げ選手のコメカミみたいに浮き出てるの。ぴくぴく跳ねてるの。先のほうだけ真っ赤なの。思ってたより棒状なの。この三日間そればっかりよ。もう、なんとかしたいの……」
理香子、瞳を閉じて、
「向こうも、気にしてるみたいで話しづらいし……。二人きりだと変な感じになるのよ。夜とか、朝とか。お互い……、何もかも忘れるのが一番よね……?」
「無理そうだなぁ……」
「無理じゃないわよ。意志の力でね。だから翠も、おかずとか言うのはやめて」
「そんな、あたしが猥談したがってるみたいな」
「だってそうじゃない。宗介がなにで……してたかなんてこの際、重要じゃないでしょう」
「……でもだよ。リカちん、考えてみて」
翠、少し言いよどんで、
「怒らない。怒らないでよ?昔、桜井が言ってたの。リカちんとはじめて会った時、『あんなかわいい子いるんだな!』って」
「は?そ、そう……」
「しかもその時って、リカちん川に落ちたわけでしょ」
「正確には、落とされた」
「……あたしが思うに、それは特別な体験だよ。目をつぶれば浮かんできて、あんなかわいい子が、全身びしょ濡れで、ちょっとエッチで。それってすなわち、おか……」
「翠!!」
「なりうると、思うんだけど……。ていうか、思っちゃったんだけど。ごめん……」
「ないわよ。ない。ない。ない。着てたし。ベスト着てた。でも気持ち悪いから脱いじゃった、違う。もそも、そもそも!そんな、記憶でなんて……するものじゃない!」
「そうであって欲しいんだけど。やり方なんて分かんないし。それに桜井も、気にしてるって」
「それは!私が、見ちゃったから、それだけ、のはずよ……」
すっかり湯気の立たなくなったカップ
「……大体、それなら翠だって、そう。宗介言ってたわ。たまに翠が女に見えて困る、って」
「ちょっ!あたしまで巻き込まないでよぉ」
「事実だもの」
「桜井あたしとは、今日普通に喋ってたもん。ない、ない」
「分からないわよ。あんな、自分で……するような変態だもの」
「ない、ない、ない……ちょっとぉ!」
翠、祈る。
「お願い、思い出してリカちん。桜井は何でしてたの。目を閉じてた?本とか、写真とか見てなかった?」
「ううん……あああ……」


○桜井家・宗介の部屋


すっ、と扉に生まれる隙間。差し込まれる脚。
翠と理香子、室内に滑りこむ。左、右、左、と周囲を確認する。恐ろしく息が合っている。
ガザッ!と押入れを開け放つ理香子。
「ビデオ、本、写真、なんでもいいわ……。万難を排し見つけ出すのよ。守り抜くの。私たちの尊厳を……」
「いざ鎌倉!」
殺気立つ二人。
ゴゾゴゾ、と鍵の差し込まれる音。
「うん……?」
「え……」
二人、その場に固まる。耳を澄ます。
静寂の中ガチャリ、とシリンダーの回る音。
「!!」
「!!」
理香子、翠、押入れに飛び込む。既に満杯。頭しか入らない。
翠、ベッドの上にルパン飛び。這いつくばり布団を被る。理香子、わたわたしている。押入れの襖を閉めたり開けたりする。
「んっ……!んっ……!」
翠、机を指示する。下に潜り込もうとし、ばりばり、ずごごご、など物凄い音をたてる理香子。
理香子、ヤドカリのように机の下へ引っ込んでいく。椅子を引っ張って蓋にする。隙間から瞳が覗く。
はあ、はあ……、と乱れた息遣い。
部屋の扉が静かに開かれる。がたん、引き出しに頭をぶつける理香子。
三橋学園の制服。
「理香子ちゃん……お邪魔します……?」
首を傾げるひなこ。
地震あったの?」


○桜井家・リビング


テーブルの上に数冊の雑誌、DVDが広げられている。光る『18+ONLY』シール。
理香子、そのうちの一冊をめくっている。二本指でつまむようにしてめくる。
後ろから覗き込む翠、ひなこ。ドッグイヤーされている頁を発見し、ざわつく三人。
「やっぱり駄目だよ、勝手に見たらいけないんだよ……?」
「ひな先輩、これは仕方なく」
「そう、仕方なくよ」
翠、理香子をせっついて頁をめくらせる。二人の頭部に隠れるエロ本。そっと背伸びするひなこ。
「恥を忍んでおききしますが……」
翠、神妙な顔で、
「一冊くらい借りてもバレないよね」
「駄目でしょ」
「訊いてみたらどうかな?」
「無理です、無理」
頁をめくる理香子。
「……これ、宗介どうやって手に入れたのかしら」
「川原で拾ったんじゃ?」
「やだっ!」
「冗談だって。にしては綺麗だもん。大事に保存してある感じが、なんか切ない」
「本屋で売ってるものなの?」
「さあ……。コンビニじゃないかな。こう、週間ジャンプ、エロ本、月間ジャンプって挟んでレジに出したりとか」
「度胸あるわね……」
「こっちはソウくん結構前から持ってるよ?」
「知ってるんですかっ」
「わたしが引っ越してきた時にはもうこれと……こっちのはあって。それから……」
「おお……」
「お掃除の時に出てきちゃったりするの。そのたび、そっと戻しておくんだけど。エアコンの中とか二重底の引き出しとか、すごい所から出てきてびっくりするんだよ?」
「なんだか宝探しっぽいですね」
「そうかも。見つけるとちょっと嬉しくなるの。前の場所から無くなってたりするとわくわくして、その日は念入りに掃除機かけてみたりして」
「分かります!」
「あなた毎日が楽しそうね……」
理香子、ぺらぺらと頁を流す。いつの間にか見方がぞんざいになっている。
巻末の二色刷りとなっているあたりで手が止まる。見出し。『実録!カーセックスのすべて』。
サクラっぽい投稿記事を読み始める翠、理香子。『皆様の体験談をお待ちしています』。
ひなこ、時計を見上げる。
「それじゃ、わたし、晩ご飯の支度あるから」
「あ……ちょっと待ってください」
翠、理香子を肘で突つく。
「ひな先輩に折り入ってご相談が。桜井のことで。ね、リカちん」
「う、うん……」
「ソウくんの?」
「つまりですね……リカちん、パス」
「落ち着いて、聞いてもらえる。宗介が……」
* * *
宗介、全裸に靴下だけはいて車を運転している。おおっと股間のシフトレバーが!とか言う。ガハガハ笑っている。
* * *
「変態性欲を処理してたの。三日前のことよ」
「……変態つける必要ないよね」


○桜井家・リビング


「……というわけなんです。二人ともちょっと気まずいみたいで、ね?」
「うん……」
「ひな先輩って桜井と長いですよね?そういう……リカちんみたいのまでいかなくても、お風呂場でばったりとかありませんか?」
「ええっと、無いことはないかなぁ……」
「おお!」
「それで?」
「どうするんですか?」
「……そういうときはね」
とひなこ。
「そっとドアを閉じて、ぜんぶ無かったことにするんだよ」
「ひな先輩、さすがです!」
「鍵をかけて、胸にそっと仕舞っておくの」
「解ってるけど。無理よ。そんなの……」
「どうして?」
「私の胸には収まりきらないの。宗介だって気にしてる。あれから私のこと、無視するし……」
「してたっけ?」
「ソウくんきっと、恥ずかしいのよ。でも嫌とかじゃないと思うわ。だって、ソウくんと理香子ちゃんは家族なんだから」
「理由になってない」
「じゃあ逆に、ソウくんの立場になって考えてみて?どういう風に解決したらうれしいかな。理香子ちゃんが、その……」
「私はあんな変態行為しない!!」
「変態つける必要ないよね」
「私はオ、オナニーなんてしないっ!!」
「言わなくてもいいけど……」
「大体、私は被害者よ。あんなもの見せられて!向こうが和解を申し込んでくるべきよ。宗介があんなことするからいけないんじゃない……あん、あんなこと」
「リカちん、思い出したら駄目だって。忘れて。頭から追い出して」
「そうだよ理香子ちゃん。いつも通りにしてればきっと、平気だから」
「無茶言わないでよ……」
玄関から物音。
ガチャガチャと鍵が乱暴に挿し込まれる。
翠、素早く机の上の雑誌をかき集める。腹に隠す。不自然に膨らんだ服。横からクッションを手渡される。ぎゅっと胸に抱きしめる。
翠とひなこ、顔を見合わせ頷く。
理香子、カーテンの陰に隠れている。
「やだ……」
「理香子ちゃん、大丈夫よ。胸にそっと仕舞っておくの」
ひなこ、玄関へ歩いていく。


○桜井家・玄関


女物のローファーが三組並んでいる。
ジャージ姿の宗介、玄関マットに腰を下ろしている。トレシューの紐をほどいている。
ぱたぱたと歩いてくるひなこ。
振り返る宗介。
「ソウくん、オナ、おかえり」
ひなこ、にっこり笑う。


暗転