エロゲー 夏ノ雨 ひなこss『耳掃除』

夏ノ雨 ひなこss『耳掃除』
説明:桜井家の日常風景。



ぽんぽん。
この音は――
柔らかな音楽、それに合わせ歌うような調子で明日の天気がどうの、こうの。
今年はエルニーニョなのか。そうか、それはよかった。
それで、明日の天気は?

ぽんぽん。
CMに入ると急に音が大きくなった気がする。鬱陶しい。思わず舌打ち。
「……!」
誰か立ち上がったのか、ぐっと頭が持ち上がる。
だが、すぐにまたつぷつぷと沈んでいく。
ソファで寝るとこういうところが困る。

ぽんぽん。
すっ、っと顔を生温かい風が撫でる。誰かの息遣い。
近い。当たってる。鼻息当たってるから……くすぐったい。
我慢しきれず頬がぴくっと引き攣る。
しまった。起きてるのがバレたかもしれない。
取り敢えずまだ目は開けないでおく。

ぽんぽんぽんぽん!
気配は遠ざかったが、代わりにぽんぽんは激しさを増していた。
これは……。
眠い!寝てます!という顔を作って対抗する。

ぽんぽん。
何度目かのぽんぽんに限界の訪れを感じ、そっと薄目を開いた。
慎重に、気取られないよう、”朝露に濡れ少し葉を浮かすイヌフグリ”くらいのイメージで臨んだのだがバレバレだった。すぐに目が合った。
瞳は語る。”むー”
視界の中で逆さまのひな姉は、不満そうにこっちを睨んでいた。
ぽんぽん――お腹、の赤ちゃん言葉。ではなく。
ひな姉が太ももを軽く叩く音。そしてそれは、わたしの膝を枕にしやがれ、の合図なのだった。



「ソ ウ く ん ?」
さっきから起きてたよね?聞こえてたよね?すぐ後ろにわたしの膝あったよね?寝るなら枕が必要だよね?
舌打ちはわたしにじゃないよね……?
なんだか色んなニュアンスを込めて名前を呼ばれた気がする。
「今起きた」
「そうなんだ」
けど、一言でごまかされてくれる。
「お水いる?」
「いらない」
ヒレ肉を使ったやたら柔らかい酢豚、ニラの卵綴じ、ポテサラ、つみれ入り味噌汁、キムチ。ご飯はお茶碗二杯分……勿論山盛りで。
あと一グラムでもお腹に入れたらたちまち逆流してきそうだ。
酢豚――ひな姉にピーマン禁止令を出したら、一休さんばりのとんちを利かせパプリカを投入してきた。
ピーマンが駄目ならパプリカ食べればいいじゃない……て。アホか。
やたら目にチカチカする色合いになっていた。
けど、美味かった……。
けど、今は……。
「おえ……」
「ソウくん、気持ち悪いの!?」
「いや、大丈夫。……やっぱ水ちょうだい」
ひな姉がいつになく機敏にシュタッ!と立ち上がる。おかげでソファが浮き上がる。仰向けに寝転ぶ体が揺れる。
「うっぷ……」
この際体を起こしたほうがいいかもしれない。揺れがマズイ。揺れが。
腰から下を一本の棒のように伸身。そのままぐぐぐと振り回して反動で頭を持ち上げる。
器械体操のあん馬、シュテクリの要領で……これならお腹も安全だ。着地も決まる。我ながらこんなところだけ達者だった。
背もたれに身体を預けた拍子にげっぷ。
「あれ……」
それでこれまでが嘘のようにお腹が落ち着いてきた。
丁度ひな姉が戻ってくる。
「ソウくん、大丈夫?」
「おう」
「晩御飯、何か気持ち悪いのあった?ごめんね、パプリカも駄目なんだっけ……?」
「いや、ウマかった……」
「そうなの?」
ひな姉はしばらく不思議そうな顔をしていたが、目の前で水を飲みほしてやると納得したみたいに頷いた。
「ふう……」
テレビはいつの間にか天気予報から世界のドキュメンタリーに変わっている。
実録・粘性細菌の世界?
バイオフィルムを利用した新型ワクチンの可能性?
「そうか、培地が違うと細菌の性質も変わってくるんだ……」
「ソウくん分かるの?」
「だから培地がほら……培地ってなに?」
「何言ってるの、もう……」
白衣のおっさんがエライ楽しそうな表情でシャーレを次々開きリポーターに見せ付ける。
58番のシャーレで良い感じの株が育っているという。58番をぐいぐい押してくる。興奮しすぎて口で呼吸するおっさん。
何がいいのかは分からなかったが凄い嬉しそうだから、それはいいことだなと思う。
「チャンネル変えるぞ」
「いいよ。……あっ、そうだ。お風呂もう入れるよ?」
「風呂は……まだいいや」
何気なくお腹を叩くとぽんぽん、といい音が鳴った。
「ふいー……」
続いてぽんぽん。うん?
横を見るとひな姉も画面ではしゃぐおっさんに負けず劣らずの笑顔を作っていた。
ソファの隅に腰掛けて、こっちに見せ付けるようゆっくりと手を振りかぶり、制服のスカート越しに太ももをぽんぽんと叩く。
その度ぷるんと揺れる大腿部に目を奪われる。
たまらなく滑らかで柔らかそうで、しかしぱつんというハリのある肌。室内灯に照らされたその白さが眩しい。
「……ソウくん?」
そこは見なくていいのとばかりに怪訝な顔をされた。
でもすぐにニンマリとした笑顔が戻り、ぽんぽんとまた肉づきのいい太ももを揺らしてくれる。心持ち強めに。
「ソウくん。お風呂入らないなら……耳掃除しよっか」
お腹の落ち着いた俺には勿論……否やはなかった。



ソファから立ち上がろうとしたひな姉を押しとどめて洗面所へ向かう。三点セットを確保するのが目的だ。
三点セット――即ち、耳掻き・綿棒・ベビーオイル。
ひな姉が耳掃除をしてくれるとき必要になるので固めて置いてある。
この三つをフル活用し、掻き取り、拭き取り、こすりとる。
俺も妹の朋実も小さい頃からすっかりひな姉任せだったからか、我が家の耳掃除はこのひなイズムにどっぷり漬かっているのだ。
田舎からこっちに引っ越してきて、朋実の耳掃除が俺の仕事になってからもそれは変わらなかった。
人にするのもそれはそれで爽快感があって嫌いじゃない。
それに、いつも引っ込み思案な朋実が三点セットを抱えてそろりと寄ってきて、駄目?とばかりに俺の顔を覗き込んでくるのも……嫌いじゃなかった。
でもやっぱりされる方が好きだ。
そして、昔から耳掃除をしてくれるのはひな姉と決まっていた。

リビングに戻る。
変わらずひな姉はソファの端に腰掛けて待っていた。
三点セットを手渡すとひな姉は肘掛にティッシュを敷いて、耳掻き、数本の綿棒、と店を広げていく。
”形が駄目””綿が緩い”などと綿棒を吟味し始めるがどう見ても全部同じだ。
その間に俺もソファに横になった。
横向きに寝そべってひな姉の腿に頭を置く。そのままガスガスと頭をずらして据わりの良い位置を探す。
ソファの場合は身体に近いほうの腿一本に乗せたほうが安定する。
畳でしてもらう時は両太ももの間に頭を置き、ひな姉の正面に身体を伸ばして寝るのもアリだ。
L字型のソファを買えばどちらにも対応できてかつ膝枕する方の足もシビレない……とはひな姉の言。何かこだわりがあるらしい。
ひな姉の太ももは、体重をかけてぐっと押し込むとどこまでも沈んでいくような柔らかさがある。
さらさらとしなやかなスカートのサージ地越しに自分以外の生き物が放つ熱を感じる。
それに、これが女の子の体臭というものなのだろうか。洗剤とは少し違った、懐かしいような匂いが胸にすっと落ちていった。
左腿に頭を落ち着けて、良い位置でだらんと首の力を抜く。
朋実にしてやってる時いつも思うのだが、あいつは俺に遠慮してか初め首の力を抜かない。
それで頭の重みが半分くらいしか腿にかからないから安定しなくて難儀するのだ。
まあ……耳掃除も佳境に入ればだらしない顔ですっかり体重を預けてくるようになる。
そんなところを見れば”落ちたな”となんだか嬉しくなったりもする。とはいえ。
頭の重さなんて5キロもないんだから、慣れてしまえば重くもなんともない。
される側は自分の頭をスイカか何かだと思ってごろんと転がしておくに限る。
「ソウくん、テレビはこのままでいいの?」
正面では、九十度傾いた画面の中で白衣のおっさんがまだ笑っていた。えべっさんみたいで縁起良さげだった。

まずは左耳から。
準備が出来たのかひな姉が後ろから俺の頭を両手で挟む。
耳の穴を覗き込みやすい角度に持っていこうと、ぐぐぐと顔を下に向けさせられる。
だがそれだとテレビが見辛い。ひな姉の太ももに右目が潰される。
しばらく抵抗したが、くいくいと頭皮をマッサージするように指を動かされるたび脱力してしまい、そのまま押し切られた。
続けてぐい、ぐい、と耳を引っ張られる。
左手が耳たぶの上部をがしっと掴んでいる。肌が触れているところだけやたら熱い。
右手は耳珠――耳の穴の手前にあるでっぱり、を摘まみ外側、頬っぺたの方に倒そうとしている。
耳穴を全開に広げて中を確認しているようだった。
穴の入り口にひな姉の息が当たってスースーする。

確認が済むと、いよいよ耳掻き様の登場だ。
ひな姉は左手で何度か耳たぶを掴み直す。人差し指が耳の裏に回され、それと親指の腹とで耳全体がばちっと挟まれる。
そのまま親指の先で耳の上のほうをくりくりされると、気持ちよさを液体にして脳に流し込まれるような感覚にうはぁと変な声が出た。
身体の芯の方から上ってくる快感に恍惚として、背筋を反らせてぶるぶる震える。
「うふ……」
ひな姉が満足そうに笑うのを聞くと悔しくも思うのだが、この快感にはとても抗えない。
くり……くり……。
くり……くり……。
ひな姉の親指一本に全身を支配される。
そうして親指でマッサージを続けながら、ひな姉はがさ……と耳に木地を当ててきた。
耳掻きの感触だ。
耳穴の上に伸びる窪んだ道、三角窩(さんかくか)と呼ばれる部分を耳掻きがそっとなぞっていく。
すう……と壁沿いに走らせたかと思うと離れ、直ぐにまた同じところをすう……と撫ぜていく。
すう……すう……。
耳掻きのへらに垢が溜まると、それをティッシュの上にとんとんと落とし、またすう……と道を走らせる。
背中に指で字を書かれている時のような、もどかしくてでも心地良い感触。
そのうち、もっと強く掻いて欲しくなる。
けれど触れるか触れないかくらいの力加減で何度となく繰り返される。
「後でやってあげるからね。まだ駄目だよ……赤くなっちゃうから」
すう……すう……。
耳の壁をなぞっていく弱々しい刺激に、意識が集中する。
コレというツボに当たったり少し加減が強くなったりするたび、待ち望んでいた快感にふぁあと息が漏れた。
そのまま、耳の大外を走る窪み――耳輪(じりん)に耳掻きは移っていく。
さっきまで親指でくりくりとされていた部分だ。
ここの窪みは特に深く、垢も溜まりやすい。そして、皮膚が薄いため触られるとたまらなく気持ちが良い。
そこにひな姉が耳掻きをごそ……と潜らせる。
そのたび、言いかたは悪いが、我慢に我慢していた小便を解放するときのような快感が全身を襲う。
ごそ……すう……。
ごそ……すう……。
ひな姉はたまに、もどかしさに良く耐えたごほうびとばかりに、耳掻きべらのエッジを使って引っ掛けるように掻いてくれた。
ずずずず……ずずず……
「うはあっ……」
「ソウくん……かわいい顔してる」
ひな姉が耳元で喋るその振動や息すら、敏感になった耳全体に響き心地良かった。

耳輪が終わると、残るは外耳道――耳の穴。いわば本丸だ。
これまで外堀を埋めるようにすう……となぞるばかりだった耳掻きが、とうとう本領を発揮する場所。
期待に胸も膨らもうというものだ。
しかし、ひな姉はここからが長い。
すう……すう……と円を描くように外耳道の入り口周りを何度も何度もなぞっていく。
一度ならず穴の中に入りかけては、少し飛び出した耳毛が耳掻きを捕らえた、というところで引き返していく。そのたびぞわぞわと鳥肌が立つ。
うああ、早くしてくれ!
早く、もう挿入て!
と心では叫んでいるのだが、そしてひな姉もそれを分かっているに違いないのに、耳掻きは無慈悲にも入り口をくるくると旋回する。
入れて、いれてぇ!
ひな姉の膝をぱんぱん叩いて、早くしてくれと合図を送る。
過度に焦らされて、胸の奥が痛くなってくる。
なんだか、普段の仕返しをされてる気がしてきた。
「ひな姉?」
見上げたひな姉の目に宿る光に、俺はそっと、これからは優しくしようと心に決めた。

こそ、こそ……と耳掻きが耳毛を引っかく。
ゆっくりと探るよう穴の入り口に少し踏み込んでは、つうと壁に沿って引き返していく。
その度ごぞぞぞ……と高架工事中の踏切みたいな濁った音が響く。
何回か入り口を攻めた後、ひな姉は左手で耳輪を掴み直した。
それから、ぐいぐいとまた外に引っ張られる。穴の中をもう一度確認している。
来るか……くるのか……?
もう一度、強めにぐい、ぐいと引っ張られる。ひな姉が顔を寄せてくるその気配を感じる。
「ふう……」
「ソウくん……結構溜まってるね。奥のほうにねぇ、いくつか大きいのがありそう」
「そうか」
「最近風強いから溜まりやすいのかなぁ、あ、うふ、あるある」
「近くで喋んなよ……息くすぐったい」
「ええっ……無理だよ今……いいとこ、なの……もうちょっと我慢、してね……」
「くしゃみ出そう」
検分が終わったのか、気配が遠ざかる。
ひな姉は思い出したようにまた耳輪の上部をくり……くり……と揉み始める。
くり……くり……。
耳たぶを親指と人差し指で挟みくるくるとこする。
「はふ……」
頭全面の神経が立って、毛穴が開いたようなむず痒い感覚に襲われる。
側頭部を枕に擦りつけてぐりぐり掻いてやると良い気持ちだ。
それがくすぐったいのか、ひな姉は両手で俺の頭を押さえようとする。
しかしすぐに諦めたのか大人しくなった。
俺が動くのを止めるまで耳掃除は再開できない。
その間以心伝心、ひな姉は髪に手ぐしを通し、延髄のあたりを指の腹でくにくにと揉んでくれた。
ガキの頃に戻ったみたいで少し……かなり気恥ずかしい。
何度か話しかけられた気がするが、きまりが悪くて一言も喋ることが出来なかった。
代わりにガスガスと強く頭を擦りつけた。
もう痒みなんてどこかに行っていたのだが……。
ひな姉は俺が動きを止めてからもしばらくの間、そのことに気づいてないみたいにゆっくり髪を梳き続けた。



するする……と耳掻きが外耳道に侵入していく。
いよいよ始まった。
はっきり言って、俺は掻き出される感触に飢えていた。散々焦らされたせいだ。
ああ……入ってくる、身体の内側に……。
まるで無防備な身体の内側に……。
今ひな姉がくしゃみの一つでもしようものなら、耳掻きが刺さり鼓膜は破れるに違いない。どこがどう繋がっているかは知らないが、脳に刺さって汁がぐじゃっと漏れるかもしれない。
そんなことを確信しながら、そして想像に背筋を凍らせながらも、命をぽんと預けているような感覚が気持ちよくてたまらない。
警戒と快感と、体中の神経がこの小さな耳の穴に集中して、ひな姉が耳を掻く一挙一動を感じ取っている。
するする……と音もなく奥に忍び込んできては、コリ、コリ、コリ……と壁を掻きながら抜けていく。
するする……で焦らされては、コリ、コリコリ……に報われる。
耳掻きが奥へ奥へと、耳毛をかき分け進んでいく。鼻にこよりを挿し込まれる時のぞくぞくするくすっぐったさ。
それがもどかしくてもう限界、と思ったところで訪れるコリ、コリ、コリ……。
ひな姉は左手で耳輪をまたぐいと引っ張ってくる。耳穴が拡げられる。
その、張った状態の皮膚に侵入途中の耳掻きが触れる。ぞわぞわと全身肌が粟立っていく。
耳掻きのへらの先でとん、とんと壁を叩かれる。
とん、とん……に次いでずずず……と耳掻きが引き揚げられる。
それに引っ張られて、べり、めりめり……と壁紙が剥がれる音。緊張の一瞬。固唾を呑んでその時を待つ。
剥がれた壁紙はそのまま、耳掻きと一緒に引き揚げられて行き……。
……そしてすぽっ、と入り口を抜けた。ラムネの栓を押し込み玉が落ちるまさにその瞬間、みたいな爽快感。
耳掻きが抜けた途端に、外気が耳穴に触れてひんやりとした。
こびり付いた耳垢が剥がし取られて、隠れていた皮膚が露わになったのだろう。なんだか聴力が増したような気になる。
上からも、ふすう……とひな姉が満足そうに鼻を鳴らす音が聞こえてきた。
「大きさ?そうだね……まあまあかな……」
なんて言うひな姉の口調には喜びの色が滲んでいて、隠し切れない達成感みたいなものが感じ取れた。
間違いなく、大物が取れたのだろう。
ていうか、なんの遠慮なんだそれは。
『耳垢が取れたくらいで嬉しくて堪らなくなるなんて、人間が小さい証拠だよね……』
いつだったか、ひな姉がそんなことを言ってきたことがあった。ちょっとヘコんでいたかもしれない。
その顔を見て、何言ってんだよばーかと笑い飛ばしたような記憶がある。
だが、今なら自信を持って言える。
嬉しいもんは嬉しいんだから仕方ねーだろ!
耳の奥に、捻りを加えながら耳掻きの腹をぐりぐりと押し込んでくるひな姉の手つきはやけに手馴れている。
その感覚に、いつの間にか涎を垂らしていたある日のことを思い出し、だらんと開いていた口を指で摘まれ笑われた日を思い出し、理由も言わず押し倒し、初めてひな姉に耳掃除を仕返したその日のことを思い出し……。
記憶の内のどの顔も、楽しそうに笑っていた。
そんなことをいつか伝えようと思う。
でもそんなことより今は耳掃除だった。
一段落したのか、ひな姉は入り口から耳穴の浅い部分にかけてをぞりぞり、としっかり掻いてくれている。
汚れを取る、というよりこれが欲しかったんでしょう?と問いかけてくるような的を射た刺激に、あくびやらよく分からないほにゃあという声やらよだれやらが漏れる。
ぞり……ぞり、ぞり……。
それらをうっかり溢さないよう気を引き締めた次の瞬間、全身が弛緩しきってしまう。
ひな姉がそんな俺の顔を見てニヤニヤしている気配が伝わってくる。
文句あんのかこの野郎と眉間にシワを寄せて舌打ちしてみたりするのだが一秒と待たずやっぱり弛緩してしまうのだった。
ぞり……ぞり……。
何度目かの欠伸を放った拍子に、ひな姉はぞり、ぞり……を打ち切ってしまった。
名残惜しい。
「あんまりすると赤くなっちゃうから。外耳道炎とか、お汁が出たりひりひりしたりする病気になっちゃうんだよ?」
「分かってる。何度も聞いたっての……聞き飽き……それこそ耳にたこが出来る」
「はいはい」
ひな姉は生返事と共に耳掻きを持ち反す。
反対側には勿論、白いふわふわの梵天がついている。
さじが垢を剥がし引っ張り出したり掻き出す時に使われるのに対し、梵天はさじが取り残した小さな耳垢を一気に引き出す目的で使われる。
鼓膜に近い外耳道の奥のほうは特に皮膚が薄いので、傷つけないよう柔らかい梵天で掃除をする。
それに、皮膚が薄いということはそれだけ神経に近いということで、奥のほうに挿し込んだ梵天をくるくる回された日にはもう……想像するだけでぞわぞわと体中が震えるのだ。
「ほら、梵天入れるよ……」
ひな姉は梵天不要論者なので、ちょっと嫌々だ。耳垢を取りすぎたり奥に押し込んだりするのはよくないらしい。
そんなこと言われても止められない。タバコ呑みの気持ちが少しだけ解る。
梵天が外耳道にゆっくり侵入してきた。
耳毛の一本一本を撫でながら奥へ進んでいく。これだけでもう俺は口をあんぐりあけて、あああーーと叫びたくなる。
「ソウくん、ホコリ入るよ?」
そのままざくざく耳毛を掻き分けて梵天は進む。びくっ、びくっ、と釣り上げられた魚みたいに身体が跳ねる。静かにしなさい、額をぺしりと叩かれる。
奥まで入り込むと、今度は梵天が回転運動を始めた。
ごぞ……!ごぞぞ……!
耳の中でごぞぞぞ、と凄い音が鳴る。
しかし快感に恍惚となった頭には、それすらどこか遠い場所での出来事のようだ。おしっこちびりそうだ。
ごぞぞ……!ごぞ……!
外壁と擦れ合い、土星のリングのように中心から遅れて回転する梵天
「うはあ……」
「はいおしまい」
「えええ……」
「じゃあ……もうちょっとだけだよ?」
エスエスエス



続いて綿棒へ。
カポッとベビーオイルのふたを開いて、綿棒の先を口につけオイルを染み込ませる。
曰く、足りないくらいで丁度良い。片側につければそれで充分らしい。
そのまま、ひな姉は綿棒をすうっと耳全体に走らせてきた。
三角窩から耳輪、外耳道の入り口へ。ベビーオイルの染みた綿棒はちょっとひんやりとしている。
すう……と耳全体をなぞる動きを手早く繰り返した後、今度は耳穴の中へ入ってきた。
くるくるくる、と螺旋を描くように壁を撫でながら奥へ進んでいく。
耳掻きの時にはなかった感触だ。
部分ごとに攻める耳掻きと違い全体を一気に刺激され、これまで澱となって溜まっていたものがすうっと溶けていくような心地がする。
つむじの辺りから抜けていく気持ち良さ。
ふああ……と欠伸が漏れる。
その度綿棒のくりくり、という動きが中断しては……また動き出す。
くりくり……くりくり……。
耳穴の入り口を攻めたかと思えば窪みをなぞって耳輪をさかのぼる。
そこから引き返してきた次の瞬間、外耳道を飛び越え耳珠をワイパーのような動きでこすってくる。
汗に近いべたっとした汚れで綿棒の先端はすぐに黄色く染まった。
その度ひな姉は綿棒を反し、また次のに持ち替えて……素早く軽やかに耳全体を蹂躙していった。
また外耳道の入り口へ。
今度は縦の動きで、入り口から穴の浅い部分にかけてをごしごしと擦られる。
ごしごし……ごしごし……。
まさに拭き掃除をされている感触。
時々ずぽっ、と音を立てて穴の中ほどまで潜り込む。
耳掻きでこりこり掻かれるいかにも繊細な作業とは間逆の乱雑さがまた心地良い。
縦に、ずぽっと、それからごしごし……ごしごし……。

「ソウくん、どこか痒いところある?」
ひな姉はふうと一息ついて手を休めながらそんなことを聞いてきた。
「別に……」
ああ、何か言わないと終わってしまう。
そんなことを思うが口は碌に開いてくれない。身体が弛緩し切ってもう喋るのもおっくうなのだ。
眠気に頭がこっくり、こっくりと揺れる。
そんな時頭をすうっ、すうっ、と撫でられる。何も言わなくても解ってくれるのが嬉しい。
前髪から入ってもみあげに……また前髪から入って今度は後ろに……つむじをこりこりと揉まれる。
すうっ……すうっ……。
いきなり、耳を掴まれぺたんと返される。
餃子みたいに折りたたまれ、耳がすっぽり内側に覆われる。貝を耳に当てたときのゴゴゴゴゴ……という音が聞こえてきた。血の身体を巡る音。
ひな姉はその餃子状態を保つよう、上から軽く掌で押さえつけてくる。
それでがら空きになった耳の裏側を攻め始めた。
オイルをつけた綿棒ですう、すうと付け根をなぞっていく。
年を取ったらこの辺りから加齢臭がしてくるらしい。
俺も気をつけないといけない。いつかその日が来るに違いない。
確信がある。ひな姉はきっと、教えてくれない。
…………。
付け根をぐるりと半周すると、ひな姉は抑えていた左掌をぽんと浮かせて耳を解放する。
ぱか、と耳が開いてゴゴゴゴ……という音も止む。
耳たぶを通って上へ、顔の前半分の付け根もなぞられて行く。
ついでなのかもみあげを持ち上げられ、生え際をぐりぐりと擦られる。
髪の毛を持ち上げられているだけなのに、ぐっ、ぐっと引っ張られているだけなのに……気持ちよくなってしまう。
「ふああ……」
しゅっ……しゅっ……と払うようにして付け根を一周し終えると、耳が折りたたまれ掌を載せられてまたゴゴゴゴゴ……。
耳の裏もしゅっ……しゅっ……と払われていく。
しばらくすると綿棒を代えて……また、すうっ……すうっ……。

裏側が済むと三たび表に戻ってくる。
今度は耳を畳まずに、そのまま上に掌をぺたんと載せられる。
熱い。オイルが行き渡っているからか、熱がいつまでも逃げていかずせいろで蒸されているようだ。
掌の隙間から、ひな姉操る綿棒が入ってきて耳の窪んだ道をすう……となぞって進む。
「これはね、乾いた綿棒で余分なオイルを回収してるの」
耳輪の深い窪みを綿棒がくしくしくし、と行ったり来たりする。
くしくし……くしくしくし……。
外耳道にも侵入してくる。
くしくし……くしくし……。
最後にちょろっと穴周りを撫でて、綿棒が引き揚げられた。
それで、ふう……と深い深呼吸が漏れる。眠い。たまらなく眠い。
「もう、ソウくんは寝転がってただけでしょ」
「そうだけど。なんか一仕事終えた感じ……」
「ふうん……?ほら。これで、こっちはおしまいね。ええと次、右耳……?反対側向いて」
「けない……」
「うん?」
「動けない……」
「もう……」
ぐぐぐ、と頭が持ち上げられる。
ひな姉は俺の頭ごとちょっと腰を浮かせると、ずる、ずると手前に回そうとする。
「人の身体をなんだと……思ってんだ……そんな砂の詰まったずだ袋みたいに……」
文句をいいながら俺も身体をくねらせ回っていく。
横向きがうつぶせになり……目蓋が押し込まれ……それからうつぶせがまた横向きに……。
なんだか息が苦しい。呼吸はできるのだが、空気がやたら温かく蒸れている。
顔に当たるすべすべした布地を手で押し上げ取っ払うと、少し楽になった気がした。
頬に当たる感触がつるつるしたものに変わる。
がしがしと頬を擦り付けて何なのか探ってみる。押し付けられている左耳から、どく、どくと音が聞こえる。
肌、太もも……?まあいい。眠い……。
むわっとした生温い空気がどんどん肺に入ってくる。頬からあご左耳にかけて全体が、熱くつるつるしたものに包まれている。
鼻先にだけなにやらふんわりした布の感触がある。
そこから物凄い湿気と、甘酸っぱいような匂いが放出されているのが分かる。ここが中心……。
とりあえず鼻から先に突っ込んでいく。
なんだか、ひな姉がびくっと跳ねたような気がする。後頭部にぎゅっと掌が当てられる。
けど、特に頭の位置が気に入らない訳ではないようだった。むしろ、ぐいぐいと押し付けられているような気がする。
むわんとした湿気と、これはひな姉の体臭なのか、ふんわりした綿地越しにすっぱいような匂いが届く。
嫌な匂いじゃない。
やたら息苦しくて、綿地に鼻を押し付け思いっきり息を吸う。吸い続けていないと苦しくなるので同時に口で息を吐く。
すうっ……はあっ……すうっ……!
苦しいのだがそこらじゅう熱に囲まれて、羽毛布団に包まっているみたいだ。
なんだか、このまま気持ちよく眠れそうだった。

「ただい……ま……?」
薄れゆく意識の端に聞き覚えのある声が引っ掛かる。
「ふがふが?」
理香子か?
帰ってきたのか。
「ふががが……」
おかえり……。

それから二週間、理香子は口を聞いてくれなかった。
どうしてかは分からない……。
気に入らないことがあるなら言えばいい。また何か面倒くさい思考回路を働かせているに違いない。
ひな姉に理由を尋ねても、いつものように柔らかく笑うばかりだった。


暗転


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